番組情報
http://www.nhk.or.jp/cosmic/broadcast/160428.html
月着陸のファーストマンとなったニール・アームストロングの宇宙飛行士応募書類は、実は締め切りに間に合っていなかった。
米国の宇宙開発計画は1963年に開始。人類を月に送り込むもの→アポロ計画。現在の価値で2.5兆、40万人の大プロジェクト。
ニールはNASAのテストパイロットだった。X計画。超音速機の開発に携わっていた。スピード、高度記録に挑むもの。
ジーン・マトランガ(当時の技術者)。ニールは飛行中に起こった出来事を正確に伝えた。技術者パイロットだった。
オハイオ州、ワパコネタで生まれる。小さい時から飛行機好き。当時の飛行機は複葉機しかなかったが、模型で単葉の機体を作った(1枚の方が効率がいい)。タイヤも小さくして収納した方がいいとの持論。
乗る事にも興味を示し、16歳で飛行のライセンスを取った。大学では航空工学に進んだ。大学時代の図面が今も残っている→テストパイロットは必然。
技術者にもパイロットにもなりたかった。アポロ計画の宇宙飛行士に応募すると誰もが思っていたが、締切りの6/1になっても届かなかった。
ある悲劇。ニールが結婚して1年後に長男リック、次いで長女カレンが生まれたが、カレンは宇宙飛行士募集の1年前、1月2日に2歳で亡くなった(悪性の脳腫瘍)。その日は結婚記念日でもあり、以来祝う事がなかった。つらい出来事だった。
ニールは1週間で仕事に復帰したが今まで通りの仕事は出来ず、ミスや事故等、トラブルが続いた(それまでの彼では考えられない)。
応募書類を出さなかった彼が何故なれたのか。母校に手がかり。
ボブ・ギルルース(NASA要人)の手紙。応募書類を6/13までに返送せよとの指示。ニールが手紙を受け取ったのが6/2。ボブは締切りを延ばして催促(ニールはアポロ計画には欠かせない存在)。新たな挑戦をしようと考えたニール。
30人の宇宙飛行士が集められ、訓練を受けてしのぎを削った。
1968/9月。ジェミニ8号によるドッキング訓練(ニールを船長として)。ドッキングには成功し、船外活動を行おうとした時に緊急事態(回転を始めた)。
宇宙船を切り離すも回転は止まらず(姿勢制御エンジンが止まらない)。逆噴射で安定させ無事帰還した。
本件はリスク回避として高い評価を受けたが、本人は船外活動が出来なかった事に責任を感じていた(納得していない)。
一方、脚光を浴びる飛行士が居た。オルドリン。船外活動5時間の実績。父親は空軍大佐。「ドクター・ランデブー」の異名を持つ。
1967年。アポロ計画は本格始動。月面着陸船の地上訓練が行われた。非常に危険であり、墜落寸前の脱出も経験したが、ニールは良く対応した。
近づくにつれ、ファーストマン(月に最初に降り立つ者)に誰がなるか、に注目が集まった。
アポロ11号のクルーはニール、オルドリン、コリンズの3名。コリンズは司令船、オルドリンは着陸船操縦。ファーストマンとして報じられていたのはオルドリン。オルドリンは周囲に自分を推薦して欲しいと頼んでいた。
ニールは、どちらが先かは大した問題ではないと考えており、人々がその事に関心を持っている事に驚いた。彼はその先の作業準備に注目していた。
ファーストマンは3ケ月前、ニールに決定された。なぜか。
直前の会議。4人の首脳による協議(スレイトン、ジョージ・ロウ、ボブ・ギルルース、クリス・クラフト)。ふさわしいのは誰か。
理由:ニールにはうぬぼれがない。絶対信頼出来る。篤く信頼されている事が重要。技術者とも信頼関係
があった。
1969年7月16日。アポロ11号打ち上げ。7/20に月着陸。月の石を採取。だがニールの月面でのキチンとした写真がない。写っているのはオルドリンばかり。
ニールは意に介さず(目的はミッションの成功)。
ファーストマンを襲った試練。ニールは月着陸後2年でNASAを去る。
帰還後アメリカ中を凱旋。大歓迎を受けた。世界ツアーは24ケ国(日本にも来た)。行く先々でコメントを求められた。家族から見ると無理をしていた。スピーチでたくさん話す姿を見て長男のリックは「信じられない」。
ニールはワシントン本部に転勤となり、管理職となった。やりたい仕事が出来なくなってしまった(有名人)。
NASAを退職し、シンシナティ大で教鞭を執った(航空機の設計に関する講義)。事前準備を十分に行い、生徒からも好評を得ていた。一時頼まれてサインもしたが、それが500ドルで売り買いされている事を知り、いやな思いをした。
ファーストマンになった事で人生が変わってしまった。利用され、やりたい事も出来ない。シンシナティ大は8年で去った。
人々の目を避けるようになり、メディア取材も受けなくなった。
1986/1月。スペースシャトル「チャレンジャー号」の爆発事故。7人死亡。事故調査委員会が立ち上がり、ニールがその副委員長。
原因は燃料タンクのシール材が低温で漏れた。Oリングが低温で起こす問題。メーカは気付いていた。
調査を4ケ月かけて行った。ジョセフ・サター(関係者)談。ニールは真摯な態度で取り組んだ。スペースシャトルはシステムとして非常に難しいが、そのほ
とんどを理解した。メモがNASAに残っている。技術によって安全を保つ事に全てを捧げた。
事故報告書は3000ページにも及んだ。克明に現された内容は事故報告書の手本とされている。次の世代に伝える事も大切にした。
2012年8月、82歳で他界。
遺品の中に大量のスライド。火星に向かう探査機「バイキング」、宇宙ステーションの切り抜き。強い関心を持っていた。
生き方で示そうとした。
感想
月着陸のファーストマンとして、あまりにも有名な人。「これは一人の人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては偉大な飛躍である」の一節は誰でも知っている。だがそれが彼に、人生における負の影響として後々負担となって行った。皮肉な話。
ニールの月面での写真がないのは、オルドリンが撮らなかったから。こんなところで仕返しせんでもいいだろうに・・・・
ウィキペディアよると、オルドリンも帰還後けっこうなストレスを感じていたらしい。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%82%BA%E3%83%BB%E3%82%AA%E3%83%AB%E3%83%89%E3%83%AA%E3%83%B3
しかし、こんな番組で「人として」の差をどうこう言われるのは、オルドリンにとっても面白くないだろう。ニールが船長、オルドリンが着陸船のパイロットになった時点でニールがファーストマンに決まった、という事までに留めてよかったのでは?