感想
ビートルズが社会にどういう影響を与えたかについて、彼らの足跡を追いながら描いた番組。
彼らの音楽なら、ちょっと考えただけで5や10の曲を挙げる事が出来るが、グループとしての道のりについてはあまり知らなかった。いろんなステージにおいて「ビートルズ」がどう影響を与えたかが比較的整然と紡がれていて、このシリーズの趣旨にも沿っている。
ちょっと長めではあったが、数回の視聴に耐える。
ゴルビーがビートルズファンだったとは(ソ連崩壊の一要因)
オマケ
1
アーサー・C・クラークの「2061年宇宙の旅」で「ルーシー」にちなんだ謎解きが描かれている。NASAはこの小説の存在も意識して名前を付けたのかも・・・
2
SF小説「プロジェクト・ヘイル・メアリー」でも帰還用宇宙船にビートルズの4人の名が冠されている。SF作家はビートルズ好き?
6/12放送
ビートルズの革命 赤の時代
第二次大戦下のイギリス。1940年に生まれたジョン・レノン。
両親が離婚し伯母に育てられる(労働者階級)
1942年に生まれたポール・マッカートニー。14歳で母を失う。彼の家も労働者階級。二人とも同じものに夢中になった。
リトル・リチャード(黒人歌手)の「Long Tall Sally」
大事なのは自分の羞恥心を消すこと。
1957/7/7。リバプールのイベントで初めて会う二人。
音楽の話で盛り上がった。その後ジョージ・ハリスンが加入。
彼らにとって幸運だったのは、それまで若者に課せられていた2年の兵役が1960年に廃止された事。3人がギリギリ逃れた。
3人は武者修行するものの、まだ粗野なバンド。
ある人物との出会い→ブライアン・エプスタイン
ステージ演出が悪いと指摘。マネージャーに名乗りを上げた。
1960年にドラムスのリンゴ・スターが加入。
ブライアンはイメージチェンジを指示。
上等なスーツで洗練された若者を演出。
一曲ごとにおじぎをする。飲酒、タバコ禁止。
1960/10月にデビュー。1stアルバムが全英1位。
自分たちによる作詞・作曲(当時は分業が普通)
当時イギリスは階級社会。
音楽とユーモアでその壁を越えた。
ロンドンが流行の発信地になった。
デザイナー:マリー・クワント(ミニスカート)
ツイッギー(モデル)
1964年アメリカに上陸。その前年にケネディ大統領暗殺。
快く思わない者も居る中、「エド・サリバン・ショー」に出演。
視聴率45%。モハメド・アリ(当時カシアス・クレイ)との共演。黒人が音楽に導いてくれたと発言(リトル・リチャード、ファッツ・ドミノらのおかげ・・・)
フロリダ、ジャクソンビルでのコンサート。
それまでは有色人種専用席の設定があった。
人種隔離するならコンサートを行わないと言った。
隔離席を設けず決行。その場で黒人のロックンロールも演奏。
人種隔離政策は撤廃されて行った。
イギリスは、外貨不足を免れたとして大英帝国勲章を彼らに授与した。それに反発した軍人たちの多くが勲章を返還。ユーモアで応えたジョン「僕らは人を殺さずにそれを手に入れた」
一方で奔放な言動には次第に圧力がかかる。
「戦争は好きじゃない。そうとしか言えない・・・」
1966年から世界ツアー。日本でも行われた(武道館)
北米ツアーで事件が起きた。ビートルズはキリストより有名だと言った失言→不買運動や殺害予告まで。演奏意欲を失った彼ら。
サンフランシスコ公演を最後にコンサートは封印された。
インタビューでの言葉。
突然「選ばれし者」になったが、導火線に火を点けたのは'60年代という時代そのものであり、僕らはその一部に過ぎなかった。
6/19放送
ビートルズの革命 青の時代
そしてルーシーは宇宙を行く
1966年を最後にステージに立たず、アイドルをやめたビートルズ。ポールのホームムービーが流される。
自由を満喫。急ぐ事はない。
姿を消して8ケ月。熱くなるのも早かったが醒めるのも早かった。その間に凄まじい進化を遂げたメンバー。
1967/6/26に世界同時中継された「OUR WORLD 〜われらの世界〜」で「All You Need Is Love」を生中継した。
休暇のおかげで自由になった。ライブ中継後アルバムを出す。
「Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band」
イギリスで23週連続1位を記録。全く新しい音楽。
裏面には歌詞を印刷(前例がなかった)
だが「Lucy in the Sky with Diamonds」がBBCで放送禁止になってしまった。曲名の名詞を拾うとL・S・Dとなる。
ポールが、アルバム制作時にL・S・Dを使ったと認めた。
それに喝采を送ったのはアメリカのヒッピー。当時ベトナム戦争反対を掲げ、ドラッグで平和な世界がやって来ると言った。
その中心にあったのがビートルズ。音楽を一日中かける。
1968年サンフランシスコを訪れたジョージは失望。ただの依存症。ヒッピームーブメントは、ある事件を境に衰退。
ローリングストーンズのコンサートでドラッグ、乱闘の末に黒人の若者が刺殺された。
1967年。ブライアン・エプスタインが睡眠薬過剰摂取で死亡。
1968年に「ホワイト・アルバム」を出す。新たなステップへ。
「Back In The U.S.S.R.」当時ソ連は西側の音楽禁止。
反ビートルズのプロパガンダは却って若者を惹き付けた。
エレキギターの部品取りに公衆電話が破壊された。
当時監視の緩かったエストニアで「Can't Buy Me Love」に自国語の歌詞を付けて歌っていたイヴォ・リンナ。
1968年に発表された「Hey Jude」も替え歌にしてTVで歌った。のちにプロデビューし、国民的歌手になった。それがソ連崩壊に寄与した。
ビートルズに入り始める亀裂。
1968年リンゴ・スターが脱退表明。
ジョンとオノ・ヨーコとの出会い。
皆がソロ活動。修復不可。
メンバー同士のアラ探し。ジョンは勲章を返還。
気持ちが壊れていても曲は傑作が生まれた。
「Let It Be」ポールの作曲。
母が元気付けてくれた頃の想い。あるがままに・・・
1970/4月解散発表。1969/8月の写真が4人の最後の姿。
活動期間は8年。
1980/12/8。ジョンが撃たれて死亡。世界中で追悼集会。
1985年。ゴルバチョフの書記長就任によりロックへの規制が解かれた。
エストニアでの30万人ライブ。イヴォ・リンナが熱唱。
ソ連からの独立を求める活動に移って行く。
エストニア→ラトビア→リトアニアへの伝播。
独立を求める「人間の鎖」は人口の1/4。市民は歌い続けた。
イヴォ・リンナ:後押しをしたのはビートルズ(全ての始まり)
1991/12月、ソ連崩壊。
2001/11月、ジョージ・ハリスンが肺がんで逝った。
残ったのは2人。
2003年、赤の広場で行われた初のロシア公演。ビートルズを知ってから40年。感動するゴルビーはビートルズのファンだった。
死の5年前に残したジョンの言葉。
'60年代は新しい世界を発見しに行く船。
ビートルズはその見張り台に立っていただけ。
「おーい、陸地だぞ!」そう叫んだだけ。
僕たちが何に貢献し、何に貢献しなかったか僕には分からない。
ボクたちの世代が全員で'60年代という船に乗り、新しい世界へ行ったということ。
2021/10月、彼らの曲に由来する名が付けられた探査機「ルーシー」が打ち上げられた。
そこに彼らの言葉が刻まれている。
今日の一曲
やっぱ、これかー
Lucy In The Sky With Diamonds 1967