マイストーリー(1)1~80(5/1~7/22)
作:林 真理子 挿絵:三溝美知子
朝日新聞による連載。
<本を書く人たち>1~31
自費出版の会社「ユアーズ」に勤める太田恭一。出版を前に肺炎で急死した依頼者、酒井貢の元へ完成した本の見本を届けに出向いたもの。題名は「石ころの記」。冷たい態度の妻はその費用が千冊で三百万だったと聞いて驚く。本により語られる酒井の人生。妻は、金をドブに捨てる様なものだと言った。
酒井宅を訪れてから数日後、新しい顧客の松永成幸と会社の応接室で会っていた。還暦になる記念に本を出したいという59歳。小説の形式にしたいという言葉に少々やっかいだと思う太田。自己認識が甘く、自惚れが強い傾向にある。彼は自分を同性愛者だと言った。
大学受験に失敗した後、地元の自動車販売会社に就職。当時車の売れ行きは良く、彼の収入もそこそこだった。そんな環境で東京まで日帰りに行く遊びを覚える。その様な時に雄一に出逢った。彼もまた松永と同様、週末に東京へ遊びに来る身の上だった。
雄一とは8年のつきあいだったという。だが、雄一が32歳の時、別れを切り出される。彼の家は旧家で、更に長男である雄一には、結婚しないという道はなかった。
結婚しても、妻に内緒で逢えばいいと言う雄一の言葉に希望を繋いだが、それっきり。その後雄一は子供も作り、県議から国政に出ている。榎原雄一。保守系の代議士で、現在どこかの省の副大臣をしている筈だ。
彼との事を本に書くつもりだと言う松永に、個人の秘密を暴露する様な内容を書くのは規約に反すると止める太田。やりとりの後でようやく考え直すと言う松永。
松永のビールの誘いを断り、会田修平の会合に向かう太田。会田は自費出版から出たプロの作家。今から3年前に太田のところに持ち込んだ、エロチックな時代小説。だがこれが受けて5万部のヒットとなった。以来「そこそこ売れる作家」としてプロの称号を得た会田。
今回は会田の6冊目の新刊が出た祝いという事で彼が各出版社の担当を呼んでいた。
出版のきっかけを作ってくれた太田に対し、それなりの礼儀を尽くす会田。
担当の間で話される業界のウラ話。
二次会を断り、自宅に向かう太田。電車から降りて数分でマンションに着く。妻が出て行った後もそのままの3LDK。職場結婚だった。旅行会社の出版部門に勤めていた太田と、添乗員の妻。妻は客の一人と恋に落ち、結婚したいと言い出した。
8年前に離婚したと同時に今の「ユアーズ社」に転職した。これまでの日々に思いを馳せる太田。
<女流作家>32~
先日、会田の飲み会で一緒だった他の出版社の中井から電話があった。
作家の漆多香子が、母親が本を出したいと言うことで、ユアーズ社を紹介して欲しいと言って来たのだ。母親の代わりにまず話を聞きたいという。
日を改め、漆多香子が太田を訪ねて来た。二十年前に芥川賞を取ってから、そこそこの作家としての位置を確保していた。
彼女の母親は八十一歳。彼女が書きたがっていると言いながら、この申込みの事は知らず、多香子が申し込んだという。やや不安を感じる太田。
母親は漆エリナといった。ハルビンの生まれ。多香子と出版に関わる多少のやりとりの後、多香子は、一週間以内に母から連絡があると思う、と言い残した。
数日後、太田を訪れた母親のエリナ。エリナは自伝の様なものを書きたいと言った。エリナの話す自分の略歴。満鉄に勤める父の下で十歳までハルビンに住んだ後、昭和18年に帰国。日本が負ける事を父は予測していた。エリナは女子大を卒業後、東大出の夫と結婚し、夫は常務まで昇進した。その夫も7年前に他界したという。
太田が「幸せな結婚だったのですね」と言っても、内に回ればどうだか判らないと言って微笑む。
一週間後、エリナからの最初の原稿がメールで届いた。自伝、エッセイの類いは第一人称が多いが、それは三人称で書かれていた。作中の名前は絵里子とされていた。なかなか良い出来だと思った太田。
その後、娘の多香子からの電話。おだてない方がいいとの冷たい言葉。
エリナからの次の原稿には、娘が添削すると言っても原稿は見せるなとの文章が。
本を出すことを勧める一方、母をけなす多香子の行動を不可解に思う太田。
絵里子として描かれるエリナの青春時代。友人と共に入った喫茶店での男子学生との文学談義。彼らは太宰を認めず、三島を支持していた。
その縁で雑誌を作る事に参加する絵里子。そのうちに絵里子も短編小説を書いて、仲間うちで誉められたりした。ある日絵里子はサークルの男子学生Yから手紙を受取った。それはラブレターだった。
その頃の絵里子には幾つか縁談があり、両親は彼女の行動に神経質になっていた。そしてサークルを辞めるよう厳命された。
当時を振り返って「本当はものを書きたかった」と娘に言うと、娘は「書きたいなら書けばいい。書ける人はとっくに書いている」と冷笑した。
太田は、費用を出すという言葉に逆らえず、多香子に原稿を転送していた。素早い返信。親子の確執は根強かった。
書き溜めていた様に、エリナからは定期的に原稿が届いた。やや凡庸ながら、結婚して働き盛りの夫に従う絵里子が描かれる。
次からの多香子は太田に電話を掛けて来た。自分の記憶している父親を語り始める。
自伝は続く。絵里子は本を書きたい気持ちを持ちつつ、それを子供たちに本の読み聞かせをする事で抑えていた。娘の多恵は、少女の頃の絵里子と同じ様に「私もいつか本を書いてみたい」と言う様になった。
大人になってから新人賞に応募して賞を取った。驚いた絵里子。
多恵は優秀な方ではなく、凡庸な女子大に進学して親を落胆させていた。多恵の兄は優秀で、医師の道を歩んだ。
多香子は、エリナの原稿を読むと、必ず太田に電話を掛ける様になった。
母と娘、それぞれから語られる家庭内の事情は太田にとっても興味があった。
新人賞を受賞した後の多恵が語られる。受賞後いくつかの短編を発表し、その中の一作が直木賞候補となり、次には受賞してしまった。
絵里子のところにも取材が来て、絵里子は「娘が自分の夢を叶えてくれた」と言い、かつてのサークルの話もしたが、記事は「まるで夢のようです」とだけ記されて他は割愛されていた。多香子からの電話。今まで母親は、自分が直木賞を取って作家になった事を喜んでいると思っていたが、実は違っていたと話す。娘が先に作家になり、作家の母親という立場になってしまったから、書けなくなってしまった、と。
絵里子の話は続く。芥川賞を取って以降、多恵は超多忙となり、母親に電話番を頼まれ、彼女のマンションに通う様になった。
取材、対談依頼等で鳴り続ける電話。若い編集者達の前で女王の様に振舞う多恵。
多恵は原稿書きでカンヅメになる時、赤坂のホテルを利用した。絵里子はそんな時にも多恵に呼び出されて荷物はこびなどしていた。そのホテルである日絵里子が本を読んでいると、顔を知っている編集者に声を掛けられた。絵里子は彼に好印象を持っていた。彼女の読んでいる本について楽しく談笑したひととき。彼は絵里子に、裏に電話番号を書いた名刺を渡した。
その後も、その彼と語り合う機会があり、絵里子は幸福なひとときを味わった。
多恵の部屋には郵便物チェック等のため毎日の様に通っていたが、多恵は不在の事が多かった。
ある日、その編集者から電話があり、夕食に誘われた。その後も彼と会う様になった絵里子。男には妻子もいたが、その話が出たのは一度だけだった。
半年ほど経った後の食事帰りで、絵里子は彼にキスをされる。その予感はあった。
それから十日ほど経ってから、多恵の部屋に彼が来てビールとつまみで二人だけの酒盛り。追加のワインの後、ごく自然に結ばれる二人。男は最初に会った時から惹かれていたと話した。
多香子は太田に、母はやっぱり呆けていると言った。二十年前、エリナは六十歳であり、そんな婆さんを誰も相手にするわけがないと言った。弁護する太田。
当時は父親も生きており、本当なら不貞を働いたという事。多香子は、この場面を削除する様太田に頼み込む。
エリナは、太田からの電話が多香子の依頼である事を承知していた。
何があってもあの部分を削除するつもりはないと言い、もし多香子が費用を払わないと言ったら、自分がその金を出すとも言った。
感想
作家としては中堅どころの林真理子。
自費出版業界を描くという事で、今まで読んだことがない分野であり、こんなのネタになるのかと思っていたが、そこそこ毎日の展開が楽しみ。
女流作家とその母親との確執。いかにもありそうな話だが、このテーマでずっと続けるのか、それともこの話も途中で完結してまた次の話になるのか、やや微妙だが、この章が「女流作家」となっているので、もう少ししたら決着するのかな。
この編集者、太田自身の人生も気になる。旅行会社の添乗員と結婚したが、人好きの性格が災いして妻が客と恋愛の末離婚。ホント切ないよね。