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Channel: 私の備忘録(映画・TV・小説等のレビュー)
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世界のドキュメンタリー「ダビンチ 万能の男が見た世界」NHKBS 3/23放送

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視聴メモは残していたが、ドタバタしてそのままに・・・
一応備忘録としてアップ。詳細はウィキペディア参照
原題
LEONARDO DA VINCI, THE UNIVERSAL MAN
制作
国際共同制作 Camera Lucida, Histoire, NHK(フランス 2019年)

感想
メモは取ったが、もう一回じっくりと観たい。
彼が私生児として生まれたというのにはビックリ。

ただ、あの当時ではさほど珍しいことではなく、優秀でさえあれば、その能力を活かす環境があったということ。
貧しさが優秀な子供の芽を摘む現代より、よほど進んでいた社会。

血管や樹木の枝分かれなどはフラクタル構造として一定の法則を持つことが知られているが、それを500年以上前に把握していたとは恐れ入る。
兵器の設計にまともなものがなかったというのも、何か痛快。

内容
レオナルド・ダ・ヴィンチ。
なぜ一人の人間が、あれほどの事を出来たか。
単なる芸術家ではなかった。
世界をより良く変えて行こうとする意欲。
1452年4月15日生まれ。

ヴィンチ村で私生児として生まれたレオナルド。
当時、婚外子として生まれる事は珍しくなかった。
裕福で公証人だった父方で教育を受けた。

ただし家を継ぐ事は出来ず(公証人にはなれない)
鏡文字を使うのは、独学で学んだ証拠。

ヴィンチ村の豊かな自然で育った。
子供時代は分かっていない。公証人の家で紙がたくさんあった。
絵を多く描き、家族が才能に驚く。

フィレンツェの工房ヴェロッキオに預けた(最も良い親方)


ヴェロッキオの工房は工場。溶鉱炉もあり、徒弟として一から学んだ。
最初の仕事は建築。屋根の上に取り付けた金属の球。

地上110m。複製でも6トン(オリジナルはもっと重かった)
どうやって上げたか不明。成し遂げたという事実があるだけ。

職人になっても絵を描いた。当時絵の世界に革命を起こした「油彩」
より繊細なグラデーションに心躍らせて熱中。
一枚の絵でテンペラと油彩の合体(師匠と共に)
以来ヴェロッキオは絵から手を引いた。

1481年に独立。大きな注文が来たが、途中で放り出しミラノに行った。絵だけでなく、各分野に才能を発揮。
人間の体の比率を知れば様々なものが分かる。


血液循環と川。樹木の枝分かれ。解剖学と地質学。
軍事用兵器の設計も行ったが、実用的でない。

(スポンサー向けのポーズ)

イタリアの産業革命を受けて、ダ・ヴィンチの才能が開花。
舞台装置、世界初の自動車(ゼンマイ式)。運河の掘削機。
領主のスポルタ公は野心的で下水道、専用道路、都市計画までやらせた。あらゆる学問に精を出した。
重要な注文は「最後の晩餐」 死を受け入れるキリストを描いた。
見た者は衝撃を受けた。「生きている」。命を吹き込むことに成功。
仕事に必要な宗教的「心」を持っていた。

1492年、ミラノ公の技師になり、騎馬像の製作に着手(高さ7m)。
鋳造システムに何年もかかった。
その後スポルタ家が失脚してパトロンを失う。

ダ・ヴィンチは多くの試行をしている。
飛行機の開発。
飛ぶためのメカニズム。揚力、空気抵抗の分析。

鳥の飛翔。コウモリを参考にはばたくシステムを考案→人力では不可

 

その後はグライダーに転換。飛行実験で1km滑空。

弟子のペレトラが骨折。
足を引っ張ったのは素材(重すぎた)

二枚の絵の注文
「聖アンナと聖母子」と「モナ・リザ」
神の領域に近づく。この世全てがつながる。
1503年から女性を描き始める。自由か否かが尺度。
輪郭がない。光と影の認識が出来ない。

本当に生きているよう(不思議)
絵の中に命のリズムを生み出す。

1516年、パトロンが亡くなる。
フランスへの招待(フランソワ一世)。
有名になっており、フランスへ行った(未完の三枚を持って)
不自由ない生活を送り、1519年に亡くなった。
死後多くの伝説が生まれる。
 

 


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