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Channel: 私の備忘録(映画・TV・小説等のレビュー)
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歴史秘話ヒストリア 「ぼくはアニメの虫 手塚治虫がやりたかったこと」 NHK 1/16放送

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番組詳報

 

概要
ニッポンのアニメの市場規模は2兆。

鉄腕アトムは日本初の連続長編TVアニメ。
現在は第四次アニメブーム(君の名は、この世界の片隅に)。第三次は「新世紀エヴァンゲリオン」。第二次は「宇宙戦艦ヤマト」。

そして最初のブームは「鉄腕アトム」。


自らスタジオ(虫プロダクション)を作って取り組んだ手塚。

1928年生まれの手塚治。マンガと同時期にアニメにも魅せられていた(ディズニーアニメ)。
手回しの映写機から動画の原理を理解(1コマづつの連続)。家にある本でパラパラ漫画を描きまくった。

「白雪姫」50回、「バンビ」80回観て、全てのシーンを記憶。
元々マンガ家になったのは、金を貯めてアニメを作るため。

 

1963年から放送された「鉄腕アトム」。まともに行けば30分の番組で一万枚以上の絵が必要。手塚の秘策→リミテッドアニメーション。口だけ動かす。バンクシステム→以前使った画像の使い回し。
1965年「ジャングル大帝」でカラーTVアニメを制作し大ヒット。
それ以降はTVアニメの戦国時代。
流行の多様化に対応出来ず、虫プロは1973年に倒産。

 

手塚が負債を完済し、アニメの世界に戻ったのは1984年。

短編アニメ「ジャンピング」で受賞。


仕事場にはアニメとマンガそれぞれ専用の机があったという。

 

晩年の総決算として「森の伝説」に取り組むが、作業半ばで病に倒れ1989年に亡くなった。

 

 

感想
手塚治虫がアニメに力を入れていたのは知っていたが、アニメを作るためにマンガ家になったというほどのものだったとは・・・・
彼の享年は60歳。胃がんだったという。大好きなアニメのために負債を抱え、それを完済したわずか5年後に他界。

本当に無念だっただろう。
彼の作品を一作でも多く目にしてやるのが供養、だな。

 

 


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