新聞小説 「ひこばえ」(6) 9/18(106)~10/11(128)
作:重松 清 画:川上 和生
第五章 息子、祖父になる 1~22
五月一日。娘、美菜の出産予定日五月五日を待つ洋一郎。手許にあるのは自分のスマホと、川端さんから渡された父のガラケー。
父のことは航太しか知らない。
昨日は和泉台ハイツに行って父の遺品整理。残された食材やスーパーのレシートから見えて来た、父の普段の生活ぶり。
「原爆句抄」の他に二冊の本を持ち帰った。「尾崎放哉全句集」と吉村昭の「海も暮れきる」。
尾崎は、東大法学部を出て順風満帆な生活だったのが、突然会社を辞め妻とも別れて句作にのめり込んだ。吉村昭の本は尾崎の評伝。
アパートに通った理由は、父の写真が欲しいからでもあったが、それは一切見つからなかった。川端さんは「似てるわよ」と洋一郎を見てきっぱりと言った。
父の部屋にあったカレンダー。
卓上のものには予定や覚え書きが書いてあった。
三月のカレンダーを見た時にえずく様な声が洩れた「嘘だろ・・・・」
三月十六日。そこに「洋一郎 55」とあった。
洋一郎の満五十五歳の誕生日。
それは、母と姉の誕生日にも名前と共に到達年齢が記されていた。父自身の誕生日、六月六日には「84」とだけ。カレンダーの中にだけ揃っている家族。
職場の「ハーヴェスト多摩」での業務。空いた部屋のリフォーム確認。次に入って来る後藤さんは七十歳。会社経営の息子が古希祝いに入居費用の七千万を払ったという。孝行息子ですねと言う男性スタッフ。
だが本人はここに、納得してやって来るのだろうか・・・?
五月三日に再びアパートを訪ねる洋一郎。今日は衣類の整理。「情を移さない方がいいよ」との姉の言葉を思い出す。
残った冷や麦を持ち帰って、夕食に茹でて食べた。美菜と航太が生まれた時の事を思い出す。美菜の時は仕事の接待、航太の時には北海道への出張で、どちらも出産には立ち会えなかった。
五月四日の夜、夏子から電話がかかって来た。
電話は、そろそろ病院に行くという連絡。緊張が声に出てしまう洋一郎。明日の朝来ればいいと言う夏子。
出産に立ち会う事には全く期待されていない現実。
翌朝の六時に家を出て駅に向かう。途中で出会う様々な老人。それぞれが毎日の暮らしを重ねている。父の行って来た生活を、ふと思う。
美菜は五月五日の午前九時に男児を出産した。感激する千隼くん。先は長いと言う洋一郎。
佐山と芳雄くんの事をふと思い出す。子供を亡くした親も、相手不在のまま我が子との関係は、ずっと続く。
今は幸せな事だけ考えよう、と自分に言い聞かせる。
初孫との対面。腕に抱いた孫の体温の高さに驚く。孫の名は「遼星(りょうせい)」。名字の小林が地味だからだという。
病院から帰る途中で気が変わって、照雲寺に向かう洋一郎。
予告なしの来訪にも道明和尚は優しく出迎えた。孫、父にとっては曽孫の誕生を伝えると一緒になって喜んでくれた。
祭壇に骨壺を置き、少し中座した後、缶ビールとグラスを二つ持って来た。親子で祝杯を上げてとの心遣い。
安手のテレビドラマでもどうか、というぐらいのクサい場面。
バカだなあと思いながらも孫が生まれた事の報告。スマホで撮った遼星の写真も見せる。
お父さまもきっと喜ばれていることでしょう、と道明和尚。向き合うというのが大切だと説く。
写真が見つかると更に近づくという。川端さんが近所の人に訊いて回ってくれているらしい。
再会したくて、したわけではない。だが和尚の言葉に頷く程度には、この状況を受け容れられる様になっていた。
山門まで見送ってくれた和尚。
感想
相変わらず父のアパートへの訪問を続ける洋一郎と、孫の誕生。
孫の写真まで見せに行くとは、感情移入の進み具合が加速している。要は、姉が年長の分だけ父の醜い部分を記憶しているのに対し、洋一郎には負の記憶が少なく、その分求める気持ちが強く現れているのだろう。
しかし、別れた後もこれほど長く以前の家族に心を残していた。
父親の真意がどこにあったのか。
そんなに気になるんだったら、仕送りのひとつでもすれば良かったのに、そういう事は一切やっていない。
結局観念でしか家族をとらえていなかったという事か。