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Channel: 私の備忘録(映画・TV・小説等のレビュー)
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NHK ファミリーヒストリー 北野武~父と母の真実 阿波国徳島に何が!~ 12/21放送

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番組詳報
http://tvtopic.goo.ne.jp/program/nhk/23759/1022112/

詳細は詳報に譲る。

 

お笑い界の大御所であり、映画監督としても高名な北野武。自分のルーツは親までしか判らないという。

義太夫節の演者だった祖母の北野うし。また母の小宮さきは小作人の娘として奉公に出され、辛酸を舐めた。
奉公先で知り合った、うしとさき。
うしが一人息子の嫁としてさきを迎え、洋品店を始めるが、息子は1年足らずで他界。
その後うしが甥と言って漆職人の正瑞菊次郎を連れて来た。菊次郎は北野家の養子に入る。これが武の父親。
とんでもないお人よしで、飲み屋でおごる、頼まれればいやと言えない、見栄っ張りのため。

店は5年で倒産。

 

家族は足立区に移り、厳しい生活。菊次郎はペンキ屋をやるが、生活を支えたのは母親。
昭和22年に武誕生。「とにかく勉強」が方針。菜切り包丁で毎日子供の鉛筆を削る母親。
「貧乏は教育で断つ」の執念。長男エンジニア、次男明治大。
武は遊びの天才。素質はあり、明治大の機械工学科に現役入学。だがいやで仕方がなかった。
3年の時家出同然で家を出た。絶対に帰って来るな、と母親。だが大学の授業料は払い続けていた。

 

浅草のフランス座(ストリップ劇場)で働き始めた。当時笑ったのはコント55号ぐらい。他はつまらなかった。
昭和49年に「ツービート」でデビューするも、全くウケなかった。
古本屋で買ったあらゆる本を読みまくった。徹底的な勉強。ネタをゼロから作る。
出来たのが「毒舌漫才」→赤信号 みんなで渡れば 怖くない。
家出から20年。兄弟は驚く。恥ずかしさで「他人だ」と嘘をついた。

さきは武のテレビを観ていた。新聞の番組欄にマジック。だが最後まで笑って観ることはなかった。

 

平成11年、さきは95歳で他界。遺品にタケちゃんマンの人形があった。

武のことば:死んでから何年も経っているのに「母ちゃん」と思ってしまう。偉そうになっていると顔が浮かぶ。

 

小学校の恩師だった藤崎敬氏。
武が表彰された標語「ちょっと待て 赤い目玉が光ってる」を披露。
父親の菊次郎が教室の壁のペンキ塗りをしてくれた事を話す。そんな事をしてくれたのは、後にも先にも菊次郎さんだけ。
菊次郎は昭和54年に80歳で他界。

 

よくぞ北野さきの息子に生まれた、と目をうるませる武。
その口で、お盆の時、母親がよその墓から供花を取って来て供えた事を話し、今田がコケる。

 

感想
ちょっとマンネリ化して来たかな?と思っていたところにひょこっと出て来た大物。
本人が知らない家族の歴史を、良く見つけて来る。ただ父方のルーツ、正瑞家の人たちのくだりは蛇足か。

 

 


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