番組紹介
https://www6.nhk.or.jp/special/detail/index.html?aid=20161204
フィリピン シブヤン海。ポール・アレン率いる海底探査プロジェクト。戦艦武蔵の捜索を行っていた。手がかりは、残されたわずかな写真。
8年に亘る捜索の末に2015年3月、発見の歴史的瞬間を迎えた。5m、15tもある巨大な錨。艦首の菊の紋章。紋章は武蔵のシンボル。ニュースが世界を駆け巡った。
100時間に及ぶ未公開映像。知られざる武蔵の記録。
1200mの海底。低水温が腐食を最低限に留めていた。木甲板の板も残っていた。
ソナー探知器によるデータ収集により驚くべき事実が判明。船体は1km四方に散らばっていた。艦首と艦尾以外は粉々。
太平洋戦争の3年前に建造された武蔵、戦後その資料は焼却された。
最大の特徴は「不沈艦」。船体は1000以上の区画に仕切られ、浸水があってもまず沈まない。またエンジン装甲板は世界一の厚さを誇り、あらゆる攻撃に耐えるものだった。
それがなぜ粉々に砕けたのか。
映像解析により武蔵の最期を知るプロジェクトが7人の専門家により立ち上げられた。
武蔵はどのような戦艦だったのか。武蔵の全体像を探るため、映像を1000万枚に分け、立体モデルに再構築して行く。
最初に行ったのは艦橋。高さ31m。10階建てのビルに相当。船の全長は263m。ジャンボジェット3機分の長さ。
攻撃力は世界最大。そう信じて設計された。ただし想定したのは戦艦同士の戦い。
46センチ砲を前に2門、後ろに1門設置。40km先の敵を正確に撃破する。米国の量に対して質で戦うしかない。
構想は「大鑑巨砲主義」の中で進められた。昭和8年に国際連盟から脱退。それまで戦艦保有率を米国の6割以下に制限されていた。
武蔵は大和の後に極秘で開発された。レイテの米国艦を殲滅するため、大和と武蔵を投入する作戦。
沈没の真相が次第に明らかになる。船体合成の過程で現れた船体の「まくれ」。魚雷が命中して浸水と共に船体表皮が外にまくれ返り、その抵抗で機動性が極端に落ちた。
米国司令官ボブ・フリーリーのコメント「戦艦同士の戦いではない」。航空機により至近距離から魚雷を命中させる。
米国は日本が行った真珠湾攻撃により、空からの攻撃による脅威を知る。新たな認識。
レイテ沖戦の半年以上前に、日本側の作戦を知っていた米国は、1944年秋までに航空機による攻撃の戦術を練った。武蔵は恐るべき戦艦であり、排除する必要があった。
艦首に大量の浸水をしている写真が残っていた。原形を留めたまま沈んだというのが今までの定説。だが艦首の穴だけでは沈まない(前のめりにはなるが、後部で浮力を確保)。
なぜ粉々になったのか。バラバラになった残骸の詳細な検証が必要だが、部品形状も含め特定機密であり、解明が困難。
未公開資料として当時の製造元だった三菱重工から部外秘の図面200枚の提供を受けた。それにより残骸がどのパーツなのかを特定。バラバラになったのは心臓部。
装甲板はどこに行ったのか。データに記録されていた構造物→アーマー(装甲板)。
武蔵の装甲板は世界一厚かった。だがその厚さのため溶接が出来ず、4万本のリベットで固定されていた。リベットが破れたら装甲はもたない。
航空機魚雷による真横からの攻撃で装甲のつなぎ目を直撃され、板ごと外れて浸水した。砲撃を主体に考えた構造。設定の想定外。
この弱点には早くから気付いていたとの証言(元乗組員)。大和が一発の魚雷で装甲をやられた経験があった。この点を海軍の上層部は知っていて無視し、漏水対策をすれば良いとして、弱点は最後まで放置された。
多くの若者が「不沈艦」と信じた偉大な船。「やられるわけがない」。
1944年10月24日。最後の戦いがCGで再現される。100機以上の航空機による5時間以上の攻撃で沈み始めた武蔵はゆっくりと海に没して行く。だが海底の武蔵はバラバラ。なぜか。
水中で大爆発を起こしたのではないか(火薬の爆発)。ある残骸の発見。主砲の一部。弾を格納していた部屋がぐにゃぐにゃに変形。爆発があったとの推定。
火薬はある条件が整えば、空気がなくても爆発する。主砲には火薬100トンと砲弾160発が収められていた。
2番目の主砲が爆発したとの前提で行われたシミュレーション結果は、実際の現場の状況に近いものを示した。
2400人中1000人以上が戦死。終戦後の武蔵からの生還者は430人。現場で生き残った者の多くは陸上の戦闘に動員され、玉砕した。
感想
昨年見つかった武蔵。ニュースで見た時は確かにびっくりしたが、その後の情報がなく、今回の番組を観るまで忘れていた。
真珠湾攻撃でいち早く航空機の可能性を引き出した日本が、その愚かさのため、必然的に自滅して行った過程を改めて直視すると、本当に「やりきれない」という気持ち。
司馬遼太郎もさんざん指摘していたが、第二次大戦当時の軍部の愚かさというのは、他に類を見ない。