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フランケンシュタインの誘惑 科学史 闇の事件簿「握りつぶされたブラックホール」
2016/6月。重力波の発見。ブラックホールが生み出したもの。
ブラックホールは、自分の重みで潰れ続ける天体。
イギリスの科学者 アーサー・エディントン。
観測によって星の構造を突き止め、エネルギーの元がガスによる核融合である事も明らかにした。
ジャーナリスト:アーサー・ミラー。天文学は観測を重視する伝統的手法が基本。ガリレオの望遠鏡による地動説。ケプラーによる惑星の楕円軌道。ニュートンの万有引力等々。
アインシュタインの相対性理論を観測により実証したのはエディントン。
相対性理論では重力で光が曲がる。1919年に皆既日食の観察。太陽のすぐ脇にある星が、皆既日食による空間の歪みで見える位置が違う事を観察。位置の移動量が計算と一致した→新しい宇宙の理論の発見。偉業。アインシュタインはエディントンを生涯の友とした。エディントンは、アインシュタインの理論を理解出来るのは自分だけだと豪語した。
エディントンは1882年生れ。2歳で父親が死に、生活は貧しかった。10歳の時に教師から望遠鏡を借りてから天文に夢中になる。猛勉強によりケンブリッジ大から大学院へ奨学金で進学。エディントンは天文学の実績を上げた。
エディントンは演説もうまく、論戦に勝つのはいつもエディントン。
31歳でケンブリッジ大の教授。32歳で天文台長に。その後母と姉を呼び寄せた。生涯独身。
興味は「星の一生」。どうやって生れ、死んで行くのか。観測により求め続けた。
天文台で10年続けた結果、注目する星を見つけた。シリウスの横にあるシリウスB。光が弱いのに温度が高い。研究にのめり込んだ。シリウスBを芯だけが残った白色矮星と考えた。大きさに対し質量大(地球の10万倍)。年老いた星→死を迎える。
新たな謎。シリウスBより大きな星はどうなるか。
1926年。星の内部構造を明らかにし、巨大な星の最後を推測。重力で光も出られない。空間は閉ざされる。当時の英国で最初にブラックホールの概念を見つけた。だが重要な課題ではないと考えた(現実に観測出来ない)→それ以上に踏み込まなかった。
1930年にナイトの称号を贈られる。業績も順調で、成功者となった。
池内了。総合研究大学院大学名誉教授。天文学者。
エディントンはスーパースター。批判すら出来ない。
大須賀健。総合研究大学院大学助教授。
ブラックホールは重力が強いため光も吸い込む→黒く見える。一般相対性理論の先にブラックホールがある。
天文学が「見つける」ものであるのに対し理論が予言したのがブラックホール。
インド。スブラマニアン・チャンドラセカール 。エディントンの本を読んで感動。
量子力学に夢中になる。数式を使って事象を解明。野心家。
叔父からもらった本がエディントンの「星の内部構造」。ブラックホールを示唆していた。
1930年。19歳でケンブリッジ大に留学。そこでひらめき、試算→星はある質量を超えると自らの力でつぶれる。
当時エディントンは基本理論の総仕上げの段階→白色矮星は最後に岩になる考え方。
チャンドラセカールの言う白色矮星の質量限界の理論が許せなかった→怒り。チャンドラセカールを要注意人物として認識。
無限につぶれるなどという事はない。基本理論へのあこがれ。
チャンドラセカールは数学を使った展開。エディントンとは食い違った。
1934年秋。チャンドラセカールは新しい論文の下書きをエディントンに見せる。おどろくほど緻密。これは危険。基本理論の土台がゆらぐ。
エディントンは「素晴らしい」と言って協力を申し出て、相談相手を勤める。チャンドラセカールにとってはあこがれの学者。エディントンは当時高価な計算機まで貸す。
1935年1月11日。ロンドン王立天文学会。幹部を集めた論文発表の場。チャンドラセカールが演壇に立ち発表。全ての星が白色矮星になるわけではない。巨大な星は無限に潰れる。世界で初めてブラックホールの発表を行った。
その後エディントンがスピーチを行う。
この発表が無事に済むとは思っていない。あり得ない。自然法則か許さない。笑いに包まれる会場。
チャンドラセカールは罠にはまった事を知った。その発表は握りつぶされた。
1936年。チャンドラセカールは米国に渡り、二度とエディントンには会わなかった。
1939年。パリの学会でチャンドラセカールは発表を行ったが、ここでもエディントンは批判を繰り返し、著書でも中傷した。チャンドラセカールは白色矮星の研究を封印した。
エディントンは、チャンドラセカールが正しいと思っていた。初めは協力しようと思っていた→自らそれを捨てた。
理論、学説は論争の中で進むもの。
イギリスの権威主義。メンツをつぶされた→怒り(老害)。
エディントンはその後基本理論の研究に没頭したが、次第に綻びが出る。基本理論に対する疑いも出て来た。
1944年。エディントンは61歳で死去。基本理論は未完に終わった。
1962年。チャンドラセカールはシカゴ大教授となっていた。
スターリング・コルゲートが、水爆の爆発が超新星爆発に似ているという事象を大型コンピュータを使って解析。
これがチャンドラセカールの言う、巨大な星が潰れ続けるという理論を裏付ける事になった。30年前の理論は正しかった。
その後、チャンドラセカールは質量が太陽の30倍以上ある星は潰れ続けると解明。
1967年。それはブラックホールと命名され、1970年に確認された。
エディントンは、共同研究も出来た。最初のブラックホール発見者にもなれた筈。
科学者の栄誉とは? 退く難しさ。権威主義は批判する人がいなくなる。本人だけが知らない。
常に自分に問い直さなくてはならない。
ただ科学者そのものが「自分がやりたい」「オレが、オレが」という人の集まり。
1995年チャンドラセカールは84歳で死去。
「チャンドラ」という人工衛星は1999年に発射された(ブラックホール研究用)。
感想
毎回ではないが、この番組は時々気がついて視聴している。
ブラックホールを巡って、こんな話があったとは全く知らなかった。ホント世の中は広い。
確かに、ブラックホールって騒がれるようになったのは最近だという印象があった。