感想
最初の見出しで「ドキュメント20min.×ドキュメント72時間」
とあったので、アレ?と思いながら視聴。
この感じから行くと本家の「72時間」チームってのも、あまり練り込まずに動くんだろうな。
メール情報と違って本人が現れないので作戦変更。
街の人から話を聞くうちに「靴磨きおじさん」の実像が浮かび上って来る。50年以上続けていたとはオドロキ。
しかしあれだけ毎日見ていた人も、居なくなって初めて思い知るその価値。
いいドキュメンタリーだった。
出来れば消息を知りたいという気持ちと
「そっとしておいてやろうよ」という気持ち・・・
内容
発端はドキュメント72時間取材班に寄せられたメール。
赤羽駅前に居る、靴磨きのおっちゃんへの取材依頼。
4/16。72Hチームが赤羽に出向く。周辺の聞き込みだと、バス停の隣にいつもいるとのこと。「今日は来ていないね」の声。
翌日もおじさんは来ない。メールでは「いつも居る・・・」
見掛けた人の話では「ここ1ケ月ぐらい見ていない」
今年になって見ていないという人も。おじさんはどこへ?
取材3日目。72時間は諦め、おじさんの行方を追う。
まずは看板。
地元の会社員(28歳)の話。職人気質。寡黙なおじいさん。
頼りにしていたと言う自営業の女性(67歳)4、500円の安さで直してくれたという。連絡先は分からない・・
おじいさんと話したという女性(83歳)息子からこんな仕事しなくても生活出来ると言われたけど、好きでやってるとのこと。
私が子供の頃から居たと言う50歳女性。30年以上のつきあい。
昨年8月ぐらいに体調が悪そうだったので、おにぎりと味噌汁を差し入れたという。名前は分からない。
写真を持っているという人を見つけた(バー経営 50歳女性)
なぜやるかの問いに対しては「ここに居るのが自分の仕事」
バックに流れるCCRの「雨をみたかい」
おじさんが靴磨きを始めたのは昭和38年から。
ちょうど「一番街商店街」が出来た頃。
陸軍の補給廠があり靴職人、洋服職人が多数いた。
取材14日目。おじさんの名を知る人が現れる。シガさんといって志茂4丁目か5丁目に住んでいたという。ここから10分ほど。
町内のバス旅行で一緒に行ったという奥さん(かなり前)
酒屋で訊き、中華料理店「山久」を紹介される。
駅前で靴磨きをやっていた事を知っていた。
アパートにも出前に行ったが30年以上前の話。
もう取り壊されている。今の住所は分からない・・
延べ100人以上に訊いたが、結局おじさんは見つからなかった。
路上に立ち続けて、見えて来たことがある。
常連の人が、おじさんの修理した靴を持って来てくれた。
ていねいな仕事。細やかな工夫。だから長いこと続けられた。
おじさんが居るのが「当たり前」の風景だった。
普通の人には出来ない。尊敬します・・
もう一度会いたい。復帰して欲しい。
おにぎりを差し入れてくれた女性を訪ねる。
修理してもらった靴を今でも大切にしているという。
お客さんがいない時も、サボるという事でなく「待っている」
今日も居てくれるな、という安心感。
未だにあの場所を見てしまう。
ずっと見守られていたのかも知れない・・・