感想
先日「ガイアの夜明け」のレビューで、売却されたそごう・西武の記事を書いた。
今回、その未来を占うような日経記事が出た。
ここで強調されていたのは、傘下に置いて20年近くも放置したセブン&アイ・ホールディングスのスタンス。
そごう・西武より早く事業譲渡を受けたH2O(エイチ・ツー・オー)リテイリングの、現「阪急」への手厚い対応を見ると、事業パートナーの重要さを痛感する。
記事本文
2023.11.6 佐藤 嘉彦 日経ビジネス記者
セブン&アイ・ホールディングス(HD)がついにそごう・西武を売却した。20年近く傘下に置いたが、投資を怠り、業績は低落し続けた。子会社を生かすも殺すも親次第。
2017年にH2O(エイチ・ツー・オー)リテイリングに事業譲渡された関西の2店舗は一足早く再生への道を歩んでいる。
日本企業でも近年、事業の入れ替えが頻繁に行われるようになった。「不採算」「非中核」と判断された会社や事業は容赦なく切り離される。経営者にとってはそれで「終わり」かもしれないが、現場の社員にとっては新たなスタート。
新たな“親”の下、どうしたら再び輝きを取り戻せるのか。
8月31日、灼熱(しゃくねつ)の炎天下の池袋を、そごう・西武労働組合の組合員らがデモ行進した。
セブン&アイによる売却問題は、百貨店業界では約60年ぶりとなるストライキにまで発展した。
それでもセブン&アイは翌9月1日、米投資ファンド、フォートレス・インベストメント・グループへの売却を完了させた。
そごう・西武の企業価値2200億円に対して、有利子負債などを除いた譲渡額はわずか8500万円。百貨店事業から手を引く代償として、そごう・西武への貸付金放棄などで約1331億円の特別損失を計上した。
2006年6月に当時のミレニアムリテイリングを傘下に収めてから今日に至る流れは、事業買収・事業売却どちらにおいても悪いお手本と言わざるを得ない。
'07年2月期の時点で全国28店舗(もともとセブン&アイ傘下だった旧ロビンソン百貨店の2店舗を除く)を展開し、売上高は9883億円あった。それが'23年2月期は10店舗、売上高は4637億円と半減した。
全国の百貨店売上高(年度ベース)は同期間で約35%減。業界全体が右肩下がりであることを差し引いても、苦戦が目立つ。
敗因は、セブン&アイの既存事業と百貨店との間に想定したようなシナジーがなかったことだ。デパ地下にプライベートブランド(PB)の「セブンプレミアム」を置いたり、総合スーパーのイトーヨーカドーとそごう・西武で婦人服を共同開発したりしたが、双方の競争力強化にはつながらなかった。
10月12日の決算会見でセブン&アイの井阪隆一社長は「(コンビニ事業強化のための巨額買収により)そごう・西武を成長させるための投資はどうしてもできなかった」と吐露した。
「ベストオーナー」(井阪氏)として選んだのがフォートレスだが、店舗の一部に家電量販のヨドバシカメラが出店する計画に従業員が反発。売却期日が何度も延期になったうえ、ストは世間の注目を集めた。損切りできたとはいえ、コンビニやスーパーのブランド力にも悪影響を与えかねない。何とも後味の悪い事業売却となった。
約20年ぶりに実現した全面改装
フォートレス傘下でそごう・西武が輝くかは未知数だが、すでに再生への道を歩んでいる先行事例がある。
17年10月にエイチ・ツー・オー(H2O)リテイリングに事業譲渡された関西の2店舗だ。セブン&アイにとって関西は非中核という位置づけだが、H2Oにとっては地元。阪急沿線でのドミナント戦略に合致した。
この10月、H2Oは「高槻阪急スクエア」(大阪府高槻市)と「神戸阪急」(神戸市)を新装オープンした。高槻は売り場の約65%、神戸に至っては約90%とほぼすべてを改装。総投資額は2店舗合わせて約103億円に達する。
高槻はもともと「西武高槻店」、神戸は「そごう神戸店」だった。そごう・西武時代、大規模な投資が行われてこなかったため、全面改装はなんと約20年ぶりという。
2年間は「そごう」の屋号を変えず
事業会社・阪急阪神百貨店の山口俊比古社長は、17年にそごう神戸店を訪れた時の印象をこう振り返る。
「20年近く手を付けないとこうなるのか、と。売り場や品物は二昔前のままで、顧客層の4割が60代以上になっていた。現場で働く人も、自分たちは必要とされているのか不安に感じているようだった」
まずは現場で働く約700人のモチベーションを高める必要がある。そう考えたH2Oは当初2年間、継承した2店舗の屋号を変えず、阪急阪神百貨店とは別会社として運営を続けた。
来店客からは「早く阪急さんにならへんの?」との声もあったが、準備期間と割り切った。
18年1月から19年1月まで、理想の店舗を考えたり、新規顧客の獲得策を考えたりする4つのプロジェクトを立ち上げ、従業員自らに考えてもらった。阪急流を押しつけるのではなく、自分たちが主役となって、店舗を改善していくよう仕向けたのだ。もちろん、それを実現するために阪急からの支援は惜しまない。当時、阪急側の窓口を務めたのが山口氏。「2店舗で働く従業員からは、今振り返ると、屋号が阪急に変わるまでの2年間が大切だったと言われる」(山口氏)
あえて時間をかけるという決断の裏側には、08年に阪急百貨店と阪神百貨店が合併した際の苦い経験もあった。統合効果をいち早く出そうと人事交流を進めたが、なかなかうまくいかなかったという。今でも阪急百貨店と阪神百貨店はカラーが異なり、お互いのやり方を尊重することですみ分けている。
そして19年10月に晴れて阪急阪神百貨店の一員となり、翌11月には阪急のノウハウを注入したデパ地下を改装オープン。来店客が増えたことで「阪急と一緒になってよかった、と現場の従業員たちに実感してもらえた」と山口氏は話す。
本来ならそのまま全面改装に踏み切る予定だったが、想定外の事態が発生する。新型コロナウイルス禍だ。会社全体の業績が低迷し、てこ入れどころではなくなってしまった。しかし改装したデパ地下には客が多く訪れるものの、古いままの上層階には足を運んでもらえない。いつまでも放置しておくわけにはいかず、業績が落ち着いてきた21年7月に発表した中期経営計画に2店舗の改装を盛り込んだ。
神戸は大都市中心部という立地を考慮し、都市型百貨店モデルを選択。ただ、阪急うめだ本店(大阪市)の縮小版ではなく、神戸ならではの百貨店を目指した。それが端的に表現されているのが、本館4~6階のフロアだ。性別やアイテムでカテゴリーをつくる従来の売り場とは異なり、ペルソナを設定し、アパレルから雑貨、食品までを混在させている。
例えば4階は神戸市東部や芦屋市在住のセレブ母娘を意識し、華やかな商品を取りそろえる。5階は神戸市中心部に増えたタワーマンションなどに住む子育てファミリー層を念頭に、子供服や絵本、キッチングッズを配置。そして6階は砂浜がある神戸市西部に移住してきた、ライフスタイルにこだわりを持つ層がターゲット。朝時間をテーマに、ハーブやアロマ、スキンケア、さらにはペット用品などを一堂に集めた。
朝時間をテーマにした売り場「モーニングフロー」。アパレルから食品まで同じ売り場に並べている(写真=水野浩志)
一方、高槻は郊外立地のため、百貨店の売り場面積を全体の4割から2割に減らし、大型専門店を拡充。目玉は1階中央のキッズスペースで、早速親子連れで大盛況となっている。地下の食品売り場だけでなく、館内を回遊する動きが強まっているという。
神戸の売り上げ目標は今期440億円。前期と比べると3割以上伸ばす意欲的な数値だ。もっとも、そごう神戸店時代の17年2月期は451億円の売上高があった。これについて山口氏は「当時とは百貨店を取り巻く環境が変わっている」と釘を刺す。市場全体が縮小する中で、売り上げ規模を維持するのは容易ではない。H2Oという百貨店をよく知る親に巡り合ったからこそ、市場縮小という逆風下でも大規模投資が実現し、大きく変身することができた。