「暦のしずく」(5)第四章「世話物」 35(6/17)~45(9/9)
朝日新聞be(土曜版)
作 沢木耕太郎 画 茂本ヒデキチ
感想
深川芸者お六の妹分 小糸を助けるための講釈が大いに受けた。
俵屋の提案で、文耕が書いたものの中から創作話を打ったところこれも好評。だが仇討ちには恨みが残ると言った里見。
次の講釈の機会に、世話物に続いて城内の刃傷沙汰を題材にした武家ものを出した文耕。これまた好評。
そんな折りに有名な講釈師 深井志道軒が話を聞きに来たことで、武家ものとして時の将軍 徳川家重の奇行を揶揄したものを話す文耕。その危うさを忠告する志道軒。市兵衛も危惧した。
次第に、文耕が処刑されたという内容に近付いている印象がある。じわじわと外堀が埋まって行くのか、突然しょっ引かれるのか・・・
次章は「駕籠」
あらすじ
第四章 世話物 一 ~ 十一
一 35
三月も中旬となり、また采女ケ原で講釈をする時期になった。
その初日、世話役の市兵衛が満席の盛況だと告げた。
客の話では文耕の評判がとてつもなく高くなっているという。
思い当たるといえば井筒屋の夜講だが、こんな騒ぎになるとは。
昼の八つ(午後二時)になり、机の前に座ると「太平記」の第二十一巻を開き話し始めた。南朝の崩壊と後醍醐帝崩御。
待ち構える様な勢いだったが、いつもの太平記と知り急に場の空気が緩み始める。中入りの休憩でかなりの客が帰ってしまった。
中入り後は「理尽鈔」の講釈だったが、夕の七つ(午後四時)に終えた時は、どこか失望した様な顔で客は帰って行った。
「狐につままれたような一日でしたな」との言葉に同感の文耕。
茶を持って来たお芳が、あの夜講の評判を店でも聞いたと言う。
それを横で聞いていた市兵衛が芸者衆の話だと知って「どうしてまた?」と問う。いろいろと事情があってな、としか言えず。
お芳の口ぶりがいかにも小糸を見知っている様なので聞いてみると、半年ほど前お六と共にこの街に来たという。
お六が文耕の講釈を聞きたくて来たらしいが、結局臆して蓬莱屋で茶と草餅を摂っただけで帰った。
席料の勘定をしていた市兵衛が驚く。百文の束が二十。
文耕の取り分十四本のうち十本を一分金にしてくれた。
二 36
講釈を始めて二日目も客の入りは良かった。やはり噂を聞いて集まって来たらしい。結果は初日と同じで、終わる頃に客は半分。
結局楽日になると、以前と同じくらいの客の入りとなった。
先だっての井筒屋の熱気を懐かしく思う文耕。
三月下旬の昼下がり、隣のお清の息子 信太が顔を覗かせた。
お清から説教をするよう頼まれていた。手習いをずっと休んでいる事を訊くと「つまらない」と言う。やはり太平記の一節を筆写するところまで出来る者にとっては不足。母親に叱られてばかりと愚痴る信太に、自分の右足の火傷痕を見せる文耕。
幼い頃両親を亡くし、ばあやに甘やかされて育った。冬の寒い夜、湯たんぽを入れてくれたのが仇になった。大事なのは湯たんぽを入れる事ではなく、寒さを我慢するのを覚えること。
手習いに行く様になったら、楠木正行がどうなったか教えてとねだる。「うむ」の返事を聞いて喜ぶ信太。
それから間を置かず俵屋が訪ねて来た。手土産の菓子を渡すと、深々と頭を下げた。あれ以来小糸(むら咲)の評判が凄くて、下げ渡しに出した八十両も半月足らずで回収出来たという。
小糸、むら咲の名は四宿の外にまで知れ渡った。
三 37
そして、一つ話を持って来たと言う俵屋。先日講釈の場を貸してくれた井筒屋が、もう一度やってくれないかとの申し出。
場代の礼金だけでなく、小間物屋の客が増えたそうだ。
「近々いかがでしょう」と言う俵屋。実は長年夜講として家を貸していた常磐津 女師匠の旦那が、使うのを渋り始めている。
文耕が頷くと、俵屋は具体的な運用の説明を始めた。
ただ、何を話せばいいのか。先日の話は明確な目的があっての事で、いつも話せるものではない。失礼ながら、と俵屋が最近の文耕の講釈の人気沸騰と、その衰退を話した。
皆が求めているのはあの時のような話だと言う俵屋に、あの様な話はもう出来ないと返す文耕。
それに対して文耕の書いた「近代公実厳秘録」にあった仇討ちの話の中の、遊女秋篠の話などが好適だと言った。
似たようなところがあるのは認めるが、実は秋篠は創作。
ただ、時代考証は見直す必要があるが、と言う俵屋。
なおも拵え物を講釈の席に上げる事を躊躇する文耕に
「語ることは、所詮騙ること」と俵屋。思わずその顔を見た。
四 38
二度目となる井筒屋での夜講は四月五日に催された。
客の入りは前回以上で、勝手場の廊下にまで客が座っていた。
俵屋が言っていた井筒屋の歓迎は単なる仲人口ではなく、大おかみのおちかが内容を聞きたがった。仇討ちの話と返す文耕。
暮れ六つ(午後六時)となって階下に机の前に座る文耕。
客の中には、例の里見樹一郎も長屋の住人に混じっていた、
自作の「近代公実厳秘録」に沿って話を始める文耕。
享保の初め頃の話。御三家の一つ、紀州家の家臣 鶴岡伝内。
扶持は百石足らずだが一人の中間 軍蔵を雇い入れていた。
質素な生活の裏で蓄えがある事を知りある夜、酔わせた伝内を刺し殺した軍蔵。金子だけでなく刀、衣類まで奪って逐電した。
独身の伝内には妻子、親類もなかったが、親しかった清水新次郎が仇討ちを申し出て認められた。江戸に向かう新兵衛。
虚しく歳月を重ねる中、秋篠という遊女と深い仲になる新次郎。
ある時、仇討ちの話を打ち明ける新兵衛。秋篠に助力を頼んだ。
軍蔵のその後。いつしか剣術指南となり弟子も増えて行った。
ところが、その弟子の一人が秋篠を抱えている楼主山本助右衛門であり、見世に軍蔵を招いて宴を行った。
そこに呼ばれて軍蔵を見た秋篠が気付き、新次郎に文で報せた。
五 39
文を読んだ新次郎が駆け付けた。間違いない事を確かめた新次郎。吉原からずっと後をつけ、自宅に戻ったところに押し入った新次郎。鶴岡伝内が仇、討ち果たすと宣言。
全てを理解した軍蔵は、近くの総泉寺で夜に雌雄を決しようと提案。それを受ける新次郎。
支度を整え、秋篠に最後の別れを告げに行く新兵衛。
今までのいきさつを話し、もし敗れる様な事かあれば花でも供えてくれと言った。秋篠は声を出して笑い、あなたが斬られようがどうして私が嘆かねばならないかと返した。
おのれ憎き女郎奴が!と戦いの場に走る新次郎。
そこまで聞いて「吉原の女郎ときたら」と舌打ちをする客。
そんな場の雰囲気を確かめて先を続ける文耕。
深夜の総泉寺で相対する軍蔵と新次郎。剣術指南をする軍蔵に分があり、新兵衛は受け太刀の一方になりかかった。
危うし!と見えた時に小姓の様な若者が軍蔵に斬りかかった。
そこで隙が出来て新兵衛が袈裟懸けに斬りおろして倒す。
助けてくれた小姓は何と秋篠。あの時は心弱き言葉だったので、心にもない事を言ったという。そして涙を流す秋篠。
六 40
文耕は、客たちが聞きたがっているとおりの結末を語った。軍蔵を討った新次郎は届けを出し、吟味された上紀州家に渡された。
困難な仇討ちを果たしたと讃えられ、藩主の命で秋篠を請け出し新次郎と妻合わせた。二人は男子二人をもうけ幸せに暮らした。
講釈が終わると大おかみのおちかが喜んで感想を語った。
ただその中で「カミはどうしたんでしょうね」と訊く。秋篠が若衆髷を結ったとすると髪が余る・・・内心あっと思った文耕。
拵え物の話にある穴。俵屋の言った「語る事は騙る事」
そこに俵屋が来て、もし秋篠がそのまま吉原にいたら凄い人気を博したと残念がる。それには、討たれる怖さで並みの男は近づかないだろう、と返す文耕。
この日も簡単な酒肴が用意されたが、また里見樹一郎が待っているやもしれぬと、早めに切り上げた文耕。
果たして、少し歩くと二本差しの里見が肩を並べて来た。
今宵も興味深かったと言いつつ、人の心を癒すものではないと言った里見。例え仇を討っても、相手に連なる者には恨みが残る。
秋篠は自分に無縁の者の命を奪う手助けをしただけ。
仇討ちをその様に見る武士に初めて出会った文耕。
そして二本差しの理由を、危うい時には私に貸そうとの思いかと訊ねた。「よくおわかりで」
それだと襲った者の返り討ちを手助けする事になる、と文耕。
文耕が相手に致命傷を与えないと信じている、と返された。
そして、どの様な状況になっても文耕を守るという自信。
今回も文耕が家に入るのを見届けてから帰った里見。
七 41
四月中旬、また采女ケ原での講釈をする時期になった。先月同様、初日は満席だったが「太平記」だと分かると客の顔に失望が浮かんだ。
講釈からの帰り道、様々な事を考える文耕。小糸の話も秋篠の話も、客が食い付いたのは知りたい事を満たしてくれたから。
そこで歌舞伎に思いが至った。歌舞伎では源平や南北朝の芝居を時代物と呼び、人情劇を世話物と呼んで続けて演じていた。
例えば「太平記」のあとで市井に人々の話をしたらどうか。
やるなら世話物を先にした方が据わりが良い。やってみようか。
その日の講釈で「太平記」ではなく自作の「当世武野俗談」を開き、家主であり手習い指南をする勝間竜水の話を始めた文耕。
金に恬淡としている竜水は、店子の厠掃除をする者が納めるこやし代を受け取らず、手習いで使った紙屑も紙屑屋に与えていた。
ある四月、棒手振りが売りに来た初鰹を、古道具屋に持ち込んだ仏具で金にして手に入れ、近所の者を集めて宴会をしたという。
母親の嘆きにも嵐が通り過ぎるのを待った。
去年のこと。新和泉町の杉森稲荷が幟の書を頼んだが、歳だからと断られ、同じく能筆家の息子に書いてもらった。
ただ息子には号がなかった。それを聞いた竜水は、竜の子は蛇だから蛇水でよかろうと提案。
客は話に自分の見知った地名や物が出るため、自分が生きているすぐ近くの事として反応している。
八 42
能筆家 竜水についての語りが終わると、中入りを宣言した文耕だが、客の熱気に押されて早々に切り上げた。
続く時代物は「太平記」の第三十二巻。客は次第に小屋を出て行き、終わる頃には半分以上の客が去った。それでも席料が先月の初日を上回っていると驚く市兵衛、
次の日も立ち見の盛況。今度の世話物は「道源およし」
元々道具屋源七という顔役が、揉め事引き受けの対価を妓楼の女たちから集めて財をなした。
道源が獄門にかけられた後、その女房およしが跡を継いだ・・・
この話もまた「太平記」になると客は途中で去る。
そうした毎日を続け、とうとう四月楽日の二十日に「太平記」四十巻を読み切った。解き放たれた気持ちと頼りない思い。
次からは軍書ではなく、いまの江戸の武家世界を描くとの思い。
五月十一日に迎えた采女ケ原での講釈。壱の席 世話物は吉原の遊女 瀬川が、迫る浄瑠璃語りをいかに遠ざけたかの顛末。
弐の席では太平記の代わりに板倉修理の、殿中での刃傷沙汰を取り上げた。病気理由で跡目を奪われると早合点して、当主板倉佐渡守に斬り付けたが、誤って細川越中守を斬り殺した。
この元になっている文耕の「近代公実厳秘録」は、将軍家のことを書いてはならないという「町触」の下、表現方法を工夫してお咎めなく写本として出せていた。だが写本と異なり刃傷沙汰を切り出して語れば「町触」に引っ掛かる。
だが恐れていても始まらない。意を決して読み始める文耕。
九 43
この板倉修理の事件は噂話として知られていた。狂歌にもなっている。だが江戸の庶民には、これがなぜ起きたかは知らない。
読み知ったり、聞き知ったりした事を繋ぎ合わせて語る文耕。
板倉修理は七千石を継いだが病気がち。養生が功を奏して恢復するが朝鮮人参の多用で短気となり、家臣を手打ちにする。
家老の前島林右衛門が諫めるが、それにも激昂。林右衛門は、一族筆頭の板倉佐渡守から養子を受け趣里を隠居させようとした。
それが修理に知られ、家族と共に去った林右衛門。
登城し行事を終え板倉佐渡守と面談する板倉修理だが、林右衛門の話を持ち出され激昂。佐渡守はもう一人の家老 加藤宇左衛門に、一族に多大なな迷惑をかけると言って修理の禁足を宣告。
その事を宇左衛門が伝えると、表向きは隠居を受け入れる修理だが、最後に将軍吉宗公への御目見得を希望。それは許された。
十五日の月次御礼に登城した修理は、板倉佐渡守を探し始める・・・
文耕は、やがて斬られる細川越中守に話を転じた。
前夜の流星を踏まえ、注意するよう家臣に言われた越中守。
登城した折り、不意に便意を催し厠に入った越中守。
用を足し終え、手を洗っているところへやって来た修理。
そこはひときわ暗かった。
家紋を見間違えた修理は、板倉佐渡守と思い込み斬り付けた。
何度も斬り重ねた上、ようやく人違いに気付き立ち去った修理。
皆に発見された時、細川越中守はすでに絶命。厠に隠れていて発見された修理は、乱心による刃傷と判断された。そして切腹。
語り切った文耕に、客も熱心に聞いた。本来自分たちには知り得ない話を聞いているとの興奮。文耕の話で初めて腑に落ちた。
十 44
文耕は、その日の語りで強い手応えを感じた。二日目以降も二つの話を読み、語った。客はますます増え、熱心に聞いてくれる。
そんな七日目のこと、机の前に座り客席を見ると異形の二人が。
一人は老いた坊主で派手な羽織、もう一人は総髪で年齢も不詳。
坊主の方は深井志道軒。江戸で最も高名な講釈師。陰茎をかたどった棒で拍子を取って下卑た話をする。
いつもなら講釈をしている時刻。
なぜだろう、と思いながらも話を進める文耕。
壱の席は、吉原に出る乱暴者を下駄一つで撃退する大口屋治兵衛の話。その話に志道軒は適切な合いの手を入れて盛り上げる。
中入りの茶のあと文耕は、初め読もうとしていた、次代の将軍と目されている大納言家治の話を変更した。
八代将軍吉宗を継いだのはその長子 家重。
偉大な父と比較され、陰で嗤われる事の多い現将軍だった。
文耕は以前出した「近代公実厳秘録」にお咎めがない事から、次第に内容を過激にして行き、ついに「当時珍説要秘録」で、家重の日頃の行状について悪口雑言としか言えない内容を綴った。
それを隠す様、家重の長子 家治を誉めそやして切り抜けた。
これまでの六日間で武家の話をし、いよいよ「町触」として禁じられている将軍家の話をする。まずは耳当たりの良い家治から、と思っていたが志道軒に「媚びている」と思われたくなかった。
家重について書かれたところを開き、一気に語り始めた文耕。
家重公は「淫酒」の度が過ぎ、大奥で酒宴を開いている。吉宗公が鷹狩りを勧めたのもその改善を求めて。
だが吉宗公亡き今、昼間は常に朦朧としている・・・・
話を聞く客たちにも次第に緊張が伝わる。いくらなんでも、当代の将軍を悪し様に罵っているのだ。
一方で先を聞きたいとの気配も伝わる。
十一 45
世話人 市兵衛の心配をよそに将軍家の話を続ける文耕。
ろれつの回らない家重公は小便が近いことでも難儀。そんな話のあれこれに客はこらえつつも笑い、元に戻すを繰り返した。
舌鋒は更に鋭く、大奥の秘事にまで及んだ。家重の正室 お幸(家治の母)が家重の淫酒を懸念し忠言していたが、それを疎ましく思い家重はお幸を二の丸に押し込め、子供にも会えなくしてしまった。それを見かねた吉宗が、将軍職を家重に譲る時是正させたという。
驚き呆れながらも客は話を聞き、終わると帰って行った。
だが志道軒ともう一人の総髪は残っている。面白かったと文耕に声を掛ける志道軒。だがちっと危う過ぎると忠告。
本と講釈は大違い。
百人に話すとは万人に話すのと同じこと・・・
あれでも手加減している、と文耕。徳川に不満があるかとの問いにも「不平も不満も特段ない」更に続く応酬。
気をつけることだ、との言葉にも
「余計なお世話、という言葉もある」
いいではないですか、好きなようにやって頂ければと口を挟む総髪。志道軒はそれを平賀源内と紹介した。
この時彼は三十歳。江戸へ来て二年目。長崎で遊学した後江戸で田村藍水について学ぶが、その後志道軒との交流を深め、彼の物語を書く様になる。だが今の時点でそんな未来は見えていない。
二人を見送ると市兵衛は、確かに今日の話は危ういところがあったと言った。聞き流す文耕。
何を恐れることがあろう。別に惜しい命でもない。