感想
小学生の頃から、栗原小巻と並んでファンだった(どちらかと言えばコマキスト)。ただ、青春モノで人気絶頂の時期を過ぎ、結婚の話を聞いてからは、あまり興味を持って意識することがなくなった。
一気にファン心が復活したのは「夢千代日記」を観てから。
今回彼女が取材を受けたのは、樹木希林の死も関係があるのだろう。ほとんど同年代(二歳上)で昨年亡くなった。
映画人としての終盤を迎え、自分を振り返るいい機会。
つい先日、この取材の元ネタの「最高の人生の見つけ方」を観たばかりだったので、エピソードを思い出して楽しめた(特にスプリンクラーの場面)。
生い立ちから、結婚までのいきさつはおぼろげには知っていたが、改めて知ってみると過酷な人生。
幸せな筈の結婚を親が祝福しないとは。これにはショックだった。
当時は、相手の男性(岡田太郎氏)が15歳上という事で「そんな爺さん」などと思ったが、当時43歳。今から思えば若いもんだ。
高倉健との共演が、映画に対する思いへの転換点だったというのは印象深い。高倉も、素顔ではひょうきんな面もあった様だが、撮影への取り組み方は壮絶だった。
過去記事 NHKスペシャル「高倉 健という生き方」
毎日泳いでいるとは聞いていたが、今はトレーニング主体なんだろう。
出演映画を厳選している彼女、さて次作はあるのだろうか?
概要
彼女はこう呼ばれる 「最後のスター」
並ぶ者がいない。別格。
だがその素顔を知る者はほとんどいない。
今回10ケ月に及ぶ取材を受け入れた。
「最初で、最後ですね」 これが本当の、吉永小百合。
取材が許可されたのは一年前。
カメラ慣れしていない。
長期密着取材は初めて(舞台裏全貌を撮らせるのも)。
この日、新作映画の衣装合わせ。企画も吉永。
74歳で主役を張れるのは彼女だけ。今作で121本目。
思わぬ事が起きた(10分だけのインタビューに応じた)
最初の本読み。キャストの雰囲気が出て良かった。
-なぜ受け入れてくれた?-
この番組からのオファーは以前から頂いていた。みんなプロ中のプロ。私みたいなアマチュアが出てはいけない。
-それがどうして?-
逆に出演することで自分を見つめ直したい。
-今プロフェッショナルと聞かれたら?- わからないですよー
プロではないという言葉の真意はどこにあるのか。
その心のうちを探る。
撮影。誰よりも早く現場に入る。彼女が来ると空気が一変する。
控室でハミングをして声を整える。
クランクイン。
芝居を決めない。感じるままに。作った感じにしない。
大切なのは、どこまで役に入り込めるか。本番前に目を閉じる。
「素人でありたい」
自分に正直に生きたい。カットがかかっても役が離れない。
演じているけど、演じていない様に見られたい。
取材一ケ月。少しづつ素顔が見えてきた。
お昼は何食べます?の問いに「卵を食べようと思ったけど忘れて来ちゃった」
競演の天海祐希と、うまい棒を食べてはしゃぐ。
驚くほど飾らない人。
何よりも印象に残った姿。待ち時間も座らない。
立っている方がリズムが取れる。
座っていると観客になっちゃう怖さがある・・・
他の俳優さんはプロフェッショナル。
-自分がアマだとの意味は?-
撮影が終わった頃に「ああ、そうだったんだな」と思うから。
「のぼせたら、終わり」
もう少し成長したい。満足したら終わり。
山田洋次監督コメント
特別な人。
どんなに強いプレッシャーか、吉永小百合であり続ける事が。
いかにして役に入り込んでいるのか。
今回映画のヒロイン北原幸枝の故郷、五島列島 福江島へ撮影前に訪れた。事前に知っておかなくちゃいけない。何を感じて育ったか、ただただ生き続ける。私にとっては重要(その人のルーツ)。
その人を知らないと自分の栄養にならない。
雨で撮影が休みの日に吉永を訪ねる。台本に手を入れていた。
「北の桜守」ではおにぎりを50個握って体に沁み込ませた。
もたっとしていると、ついて行けない。必死。
努力ではない、最低限やらなきゃいけない事。
自分の出来るうちはやろう。出来なくなったらやめるしかない。
いつ幕を引くか。どこまでやれるか。
この映画が最後になるかも知れない。
撮影で大きな課題に直面。
同じシーンを何度も録り直す。主流となった撮影手法(編集の都合)
「キューポラのある街」では1カットに全てを込めた。
生きづらい時代。
同じ芝居を繰り返す中で、いかに集中を持続させるか。
「本当はイヤ、本番は一回」
スプリンクラーが作動するシーンで何回も水をかぶる。
そんな中でも笑う。
映画の現場に居たい。新しい監督、スタッフでも。
感動させたい。大切なこと、かけがえのないこと。
三ヶ月後。控室に声がかかった。本番前の化粧。
ずっと自分でやって来たが、マリ子さんに出会ってから任せる事にした。考えを改めた。自分でやっているうちは吉永でしかないメイク。
自分で付ける筈のない口紅。そういう事が必要。
着実に近づく幕引き。それでもあがく。それが吉永小百合。
撮影のない時は、週三日のトレーニング。二時間、全身を鍛える。
スタッフに「いくつ?」と聞き、33歳と聞いてのけぞる。
その時期「不本意な映画に出ていた」
深い葛藤。その歩み。
1945年生まれ。終戦まぎわ。
一家の暮らしは貧しかった。
父が事業に失敗。借金取りが押しかけた。
月々の給食費が払えず、母は「忘れたと言いなさい」
だが天性の明るさを持ち、輝いていた。
小学校で出演した学芸会で、少年たちが涙を流すのを見て劇の力を知る。卒業文集で「私は将来、映画俳優になりたい」と書いていた。
その能力を見抜いていた母、和枝。
14歳で映画デビュー。15歳で専属契約。
その目的は家族の暮らしを楽にするため。年10本の映画に出演。
そして17歳の時「キューポラのある街」で人気絶頂に。
当時労働者がいっぱい。彼らに力を与えた。星のような存在。
だが人知れずの苦しみ。常に母の決めたレール。深夜までの撮影。
高校も中退した。生きている限り演技。小百合は魂の抜けた人形。
本当の苦しみは二十代になってから。
成熟した大人が演じられない、役に入り込めない。
「優等生」という陰口。
突然声が出なくなった。過労とストレス。死にたいと思った。限界。
28歳、母の反対を押し切り、15歳上の男と結婚。
親にNOと初めて言った。結婚式に両親は出なかった。
事務所を辞め、仕事もキャンセル。だがあの学芸会が忘れられない。
気付けば映画の仕事を再開していた。33歳。
高倉健との共演「動乱」
驚くべき光景。休憩時も吹雪の中に立つ高倉。
一年という撮影期間。本当の夫婦の様に過ごした。
不思議な感覚。震えるような感動。
1カット3分の収録。夫婦の別れ。
心のうちが満たされ、感情がこぼれた。
「吉永小百合を、生きる」
映画が本当に好きになった。
出来る限りの事をして。人間として歩ける限り。
それから変わった。自分一人で、心が動く映画にだけ出た。
些細なセリフも、納得出来るまで突き詰めた。
本番では無心に風に吹かれた。それでも自分はプロではないと言う。
プロでありたくない、アマチュアでいたい。
感動する、新しいものに出会う事には素人でいたい。
人形に徹する道もあった。
プロと素人のはざまに揺れ、動き続けること。
収録終盤。
ライブ(ももクロ)に乱入。生まれて初めての経験。
不安を抱えていた。一年前、右足を痛めていた(テーピング)。
動きすぎると痛む。どこまで飛べるのか。
ライブ中の撮影。録り直しはきかない。何とかそれを録り終える。
休みなしの過酷な撮影。体力の限界。
同じ芝居の繰り返しがその原因。
だが疲れたそぶりは絶対に見せない。
スタッフはもっと疲れている。
真価を問われる撮影。引き込もりの息子と向き合う。
近づくにつれ、次第に人を遠ざける。
食べていない。病気の役だから。
五十年連れ添ったスタッフも近づくのをためらった。
昔の仲間が激励に駆け付けた。仲間との別れが相次いでいた。
クライマックス撮影当日。病気と見間違えるほどやつれていた。
「今日を精一杯生きれば、明日に、つながる」
まず、カメラなしでのテスト。ドアをドンドン叩くシーン。リハーサルでも手抜きせず、手を痛めて氷で冷やす。
その後本番となって、何度も繰り返されるドアを叩くシーン。震える親指。そして、ようやく終わる撮影。
「道半ば、です。まだまだ」
-なぜ?- そうなんですよ・・・・
2月28日クランクアップ。
5月13日に福江島を訪れる。
一つの役をやると、パッと次に移れない。
まだ幸枝さんの中にいる。今年いっぱいぐらい・・・
映画は手を離れ、もう出来ることはない。それでも役を、生きる。
2週間後、試写が行われた。例の、息子との対話シーン。
カット割りのため何度か撮影が繰り返されたが、採用されたのは通しの1カットだった。編集時、親指の震えに気付いた監督。
次に会いに行った時、小百合はトレーニングをしていた。
この先は決めていないという。だがそのまなざしは、明日を見ていた。
-プロフェッショナルとは?-
とにかく映画が好きでやって来た。そういう事がプロフェッショナルかどうかは判らないが、残した作品で皆さんが決めて下さるかも知れない。
-今回取材の印象は?-
大変ですよー。 地味な性格だから、いつも見られているのは緊張。
でもいつ死ぬか判らないから、録って頂いて幸せだった。
これで私はプロフェッショナルだ、満足だと思ってしまうと、そこで終わってしまう様な気持ちがある。
プロフェッショナルを求めて、これからもまた歩いて行きます。