番組紹介
司会:小野正嗣、柴田祐規子 ゲスト:三浦篤(東京大学教授)
感想
最近ご無沙汰だったが、たまたまチャンネル合わせたらよく見る絵が。
マネといえば「オランピア」だが、この作品の女性も魅力的。
確かに言われてみれば、正面から鏡の前に居る女性を見ているんだから、配置としてはオカしい。
でも、それを知ったとしてもこの作品の魅力は損なわれない。
マネの人生、作品に対する解釈等、なかなかいい番組だった。
梅毒ねー・・・・今ならHIVか。気を付けよう。
概要
エドゥアール・マネ。死の前年に描かれた「フォリー=ベルジェールのバー」の秘密に迫る。
パリ改造の後に建てられた「フォリー=ベルジェール」は雑多なショーを見せる娯楽の場。ここのバー・カウンターのメイド(売春婦でもあった)をなぜ主題に選んだか?
1832年、激動のパリに生まれたマネ。
父が高級官僚だったが、期待に反し絵の道に進んだ。
当時の画界は名画の模写をやって腕を上げるのが普通。それをサロンに持ち込み入選するのが立身への道。だがなかなか入選できず。
31歳の時に出した作品が怒りを買って落選。落選集の中に選ばれて公表された。
その頃の作品「草上の昼食」。当時の日常を赤裸々に描いた。
荒いタッチ、平面的な構成。
サロンでスキャンダルとなった「オランピア」。脱げかけたサンダル、パトロンから贈られた花束など、高級娼婦を連想させた。
彼女の目は正面を見つめる。強い存在感。
パリの現実を次々と描いた。
「鉄道」。母と娘が居る。その先が描きたい(蒸気機関車の煙)。
都市のひとコマ。
マネのアトリエを訪れたボードレールにゾラ。
絵画理論でもリーダーだったマネ。
「フォリー=ベルジェールのバー」について
モデルにしたのはシュゾン(バーメイド)。さまよう視線。
サロンで入選したものの、当惑の声もあった。
彼女自身の当惑した様な雰囲気。顔も無表情。
何を伝えようとしたか ヒントは背景の鏡。
二階に居るのは裕福な女性。画面の端に空中ブランコの女性の足。曲芸をするのは貧しい少女。
バーメイドにはパトロンが付くこともあった。
男が語りかける。落胆でもない。疎外されて一人。
全てが彼女の孤独を引き立たせる。
若いときに罹った梅毒のために、この作品を描いた翌年、51歳で亡くなった(遺作)
なぜ描いたか
パリの近代生活の真実を描いた。パリの階級構造に敏感。
到達したのがフォリー=ベルジェール。ブルジョワも庶民も居た。バーメイドは下層階級。敢えて主役に据えた。
最大の謎 鏡に映った風景が実際と違う。
本来より大きく右にズレている背中。
女と話す鏡の男は女の正面に居ない。
理解不可能な配置 何故か?
作品を所蔵しているコートールド美術館での科学調査。
X線画像では女性を何度か描き直し、どんどん左(本人側から見れば右)にズラした→中央に据えたかった。
正面から見た視点と右から見た視点とが混在している。
女性の胸の中心を基準にして描かれている。
二階席の配置も大きく違っている。
あるがままでなくてもいい
彼が生きた時代の大きな変化。哲学も大きく変わった。
世界を一つの視点で見なくていい。
世界の本質は、調和出来ない現実。
1871年に革命。普仏戦争の敗戦。
ナポレオン三世の帝政に市民爆発。パリ・コミューン。
それらを目撃した。人々が意見を言い始めた。ブルジョアだけでない。
どう表現するか。 新しい表現の模索。
詩人のメラルメ。マネを訪れて語り合った。
絵に対する思い
描写ではなく、暗示。仄めかすこと。
目の前のものを凝視するうちに輝きを持つ。
調和を失った現実の断片。
ここにはマネが生きた時代が映し出されていた。
鏡を使ったのには意味がある
見えるがままではない。再構築。
絶対的な価値観の喪失。永遠の美ではなく瞬間の美。
一瞬の輝きに美を見出す→何らかの工夫が必要。
二つの異なる世界が接合されている。近代人の象徴。
表情もいろいろ考えさせられる(物語を過剰に解釈する)。
どれも当たっていて、どれもハズレ。解釈を誘発する。
翌年に死んだマネが、最後にバーメイドを選んだ。それも彼らしい。