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新聞小説 「ひこばえ」 (20)終章  重松 清

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新聞小説 「ひこばえ」(20)  9/8(450)~9/30(471)
作:重松 清  画:川上 和生

 

終章 きらきら星  1~21
神田さんが運転するトラックの助手席に乗っている洋一郎。

父の散骨場所を山陰のツタ島にした事を知り、神田さんが配送の仕事を組んでくれた。その途中で万博記念公園を突っ切る事になるから、太陽の塔を父に見せることが出来る。

 

その道すがら、父との思い出をぽつり、ぽつりと話す神田さん。

魚を食べるのがへた、目玉焼きはソース派、野良猫に懐かれてキャットフードを買っていた・・・
父の人生に関わるような重大事ではない。

そのくせ父の借金の事などは、聞いても「忘れた」

 

万博公園から見える太陽の塔。ほんの数秒。実際はくすんで寂しそうに見えたが「美しい朝日に染まっていたんだ」と決めた。

思い出は身勝手でいい。

 

鶴山市の工場に荷物を運ぶのが神田さんの仕事。そこで別れて洋一郎は日本海側まで電車で行き、家族の居る弓ケ浜温泉で合流。

今回の散骨に妻、美菜の家族、航太まで参加してくれた。

 

あと一時間半ほどで別れの時が来る。せめてもの皮肉で名前を呼ばず息子、息子と言い続けていた事を話すと、正確に姓名を返した神田さん。お前の人生には「息子」が足りんだろう・・・

 

後藤さんの事を心配する神田さん。後藤さんはその後「ハーヴェスト多摩」に戻り、時々川端さんの観光農園の手伝いを続けている。
真知子さんも、ハーヴェスト多摩との縁は切れず、隔週で自分史教室をボランティアで続けた。
小雪さんは、病状が悪化したが入院はせず、シェアハウスの若者たちがサポート。洋一郎が持ち込んだ骨箱に心を込めて手を合わせてくれた。


だが、何の思い出話も話してくれなかった事に、真知子さんは大いに不満。
父の部屋を引き払った洋一郎。母や姉とも話して、形見は手許に残さなかった。本は「和泉台文庫」に寄付。
それから「佐山」からの報告。佐山が設置したAEDで命を救われた杉山君から、暑中見舞いが届いたという。

芳雄君の事情を誰かから聞いて、自発的に出した事の様だ。

 

鶴山の手前の作良駅で降ろされた洋一郎。

荷物があるので、遠回りするのを嫌う神田さん。
骨箱が入ったスポーツバッグを軽く叩いて、あっさりと別れた神田さん。

 

電車を乗り継ぎ、数時間かけて、夕方ようやく宿に着いた洋一郎。
みんなで夕食の膳を囲んだ後、航太と二人で露天風呂に入る。


風呂から戻り、美菜たちが入るため千隼君が遼星を抱いた時、航太がごきげん取りに「きらきら星」を歌いながら手を動かした。

それは手首だけをひねって裏表にする表現・・・・父の「バイバイ」と同じ仕草だった。きらきら星の手遊びと父の「バイバイ」を合わせて考えた事はなかった。

 

ふいに涙腺がゆるみ始めた時、夏子が旅館でサービスしている庭園での催しに誘い出した。一緒に行こうとする航太に「アンタはダメ」

庭園に出て、振る舞い酒を飲む二人。「あのまま居たら泣き出したんじゃないの?」様子の急変を判っていた夏子。

さっきの「バイバイ」の話を聞いて夏子が「あなたが受け継いだら?」

 

 

小さな港の桟橋に立つ洋一郎。ツタ島を管理する葬祭会社のスタッフと共に、チャーターした釣り船で向かう。他の家族は置いて、一人で来たのは自分のワガママ。父の息子という立場だけで見送りたかった。

ツタ島は散骨専用の島。十年ほど前から始められ、百数十霊ほどが撒かれたという。そのまま地面に撒き、一年もすれば土に還る。
指示された場所に粉骨を撒き、麦焼酎をかけた。終わったんだ、という安堵だけが胸に満ちていく。

 

帰りの船を待つ間に、真知子さんからの電話。

ついさっき小雪さんが息を引き取ったという。
また、いつか。
死後の世界など信じないが、ごく当たり前の様にその言葉が浮かんだ。
亡くなった人とはもう二度と、決して会えない。

わかっている。それでも私は繰り返す。
また、いつか。

船に乗り込み、遠ざかる島を見ながら手首をひねって、父と同じ「バイバイ」をする洋一郎。
見上げると、昼間の青空にきらきら星が瞬いていた。

 


感想
散骨専用の島に父の骨を撒くまでの話を描いて、小説は終わった。
文中のツタ島は「カズラ島」の事だろう。国内唯一の散骨専用の島。

父がやっていた独特の「バイバイ」の仕草が「きらきら星」で行うゼスチャーと同じだった事に感動する洋一郎。
あわてて「序章」を読み直したら、確かにそのバイバイの事が書いてある。だからプロットを構築する時に仕込んであったのは確かだろう。
だけど・・・・そういう点は周到に出来る割りに、他の大部分がザルだから「羊さん」のBlogで叩かれまくる事になる(笑)

 

子供の頃に別れて去って行った父親。継父に育てられ、自身が壮年と言える年頃になって前父の存在を知る。
死んだ父親に関連した人々の話と共に、自身が勤務する特養ホームでの関わりが描かれ、それが後藤さんというキャラクターを介して混ざり合う。

 

毎日読むというスタンスの中で一定の事件、エピソードが提供され、新聞小説としてはそこそこ成功しているという見方も出来る。

だがこの長谷川洋一郎という主人公が全く「つまんない男」であり、時にこんなものを毎日時間を潰して読む必要があるのだろうか?とも思わせた。

 

等身大の自分という面で、ごく一般的な人物としてアタフタし、セコく立ち回り、またそれが失敗してオロオロする・・・・
それが狙いなのかも知れないが、読んでいるうちに何か「不快」なイメージを持つ様になった。
重松作品は、平易な言葉の中にジワジワと沁み込んで来るものがあって、自分としては好きな作家なのだが、今回の内容については、あまり心に響くものがなかった。

 

今回失敗だなー、と思えるのが「自分史」というものを絡ませたこと。

周りの人たちにさんざん迷惑をかけ、金にもルーズだった男が、溜めた金を返済に使うこともなく、一冊だけの自分史に注ぎ込もうとした。

本来ならば、この不自然さをこそ真向から捉えて深掘りすべきだった。
そういう面にはほとんど入り込まず、ただエピソードをダラダラと垂れ流すだけ。
むしろ、こういう人間は何も残さず潔く死んで行く事こそが美しい。

 

モームの「人間の絆」では、人生の終わりに際して、一つの芸術品の完成を喜ぶ気持ち、知っているのは自分一人、という境地を描いている。
くだらない、自分の一生なんて本に残して何になる?
ひこばえというのは、自分が死んでも後に続くものがあればいいという教え。自分が何かを残すという概念は「貧しい」

 

でもこの小説、ごく簡単に「あらすじ」みたいにまとめると、意外にイイ話に思えるかも知れない・・・・ビミョーやなぁ

 

 

 


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