朝日 新聞小説「白鶴亮翔」(2) 3/10(37) ~ 4/3/(60)
作:多和田葉子 挿絵:溝上幾久子
感想
ピカチュウ婆さん(笑)は木から降りて一回だけで退場。気にしてて損した感じ。友人パウラとロベルトの話の後、古いCDプレーヤーとの脳内会話から自転車のパンク修理へ。
自転車店で偶然会ったMさんから、太極拳教室に付き合って欲しいとの依頼。
ようやく題名に接近して来たなと思ったら、今度は小説翻訳の息抜き散歩でまた過去話に。
ベルリンの、前の住所の更に前のフライブルクでの生活。
映画エキストラ出演は、早瀬が帰国するのに対し居残るための口実にも使われた。
そして過去話がら再び現在に戻った。
ようやく太極拳教室の話になってくれるのかな?
しかしちょっと整理。前回でベルリンのある地区から今の所に引っ越したと理解しているが十年近くベルリンの最初の住所(治安が悪く夜中に道端で人が寝ている様なところ)に住んでいたという事か。その後引っ越しの時スージーに頼んだと前回(6回)書いていたが、スージーはフライブルクで活動している人。
ベルリンとは700キロも離れており、住む家を頼むのは不自然じゃないか。
だって大阪の住まいを探すのに東京在住には頼まんだろう。
登場人物がプロファイルし辛いというのが根底にある。早瀬が日本に帰って何年後にミサはベルリンの大学に入ったのか。
大学生という身分でどうやって生活を支えていたのか、離婚したのかしてないのか・・・
普通、こういった話は現在進行形でエピソードとして積み上がって行くものだが、過去話としてふっと浮かんでくるもんだから、あちこち貼り合わせて構築しなくてはならない。
そもそも早瀬や、その他キャストのプロファイルがキチンと出来ているのか。エヴァンゲリオンだってもうちょっとまともに人物設定している。
早瀬との生活もチラッ、チラッと小出しにしているが、その内容がそれぞれ微妙にニュアンスが違う。映画出演の話もブツっと途中で切り上げられ、読者がおいてきぼりにされる(ロルフとその後どうなった?)
これが大小説家のスタイルとでもいうのだろうか(ノーベル賞候補とか言われてる)
ただしまだ序盤。もう少し様子を見るか・・・
あらすじ
37
パウラが指さす先に、紺色の作務衣に白スニーカーの、七十代と思われる女性がかなり高い枝にまたがっている。痩せて筋肉質。
助けの人が来ますから動かないでと日本語で声をかけると「助け?誰か怪我でも?」とのしっかりした応対。降りるのは大変ですよねと言うと、私は舞踏家、降りる練習もしないで登るのは子猫ぐらいだと言って、四肢を使いコアラの様に降りて来た。
驚愕のパウラとロベルト。
今はもう日本語しか出来ず孫、亭主、息子との会話も不成立だから一人で遊んでる、と言う女性に恐縮の私。
名前を聞くヒマもなくその場を去った舞踏家。
38
そんなある日、パウラとロベルトが引っ越し祝いのパンと塩を持ち来訪。それはドイツの風習。
引っ越しがおめでたいか微妙でピンと来ない。
彼らとは大学のゼミで知り合い、私は投げ出したがアルバイトをして大学に通う二人。
この二人と知り合ったのは「ドイツ文学におけるラテンアメリカ」というゼミだった。
二人には打ち明けていないが、このゼミは他が満杯でも最後まで定員に満たなかったので申し込んだに過ぎない。ドイツ作家とラテンアメリカとの繋がりも知らなかった。
39
そんな私と違ってパウラはボリビア、ロベルトはアルゼンチンにルーツがあり、授業で活発に発言。彼らから話を聞くうち、南米に興味を持ち始めた私。私が大学に行くのをやめても忘れないでいてくれる二人。
パウラが一軒家なんで贅沢ねと話す。この家の借主が数年不在の間、留守番的に安く借りていると説明。
先の事など分からないと言う私。
40
若い二人は子供をつくって家庭を築く未来を見据えている。私との大きな差。片付いていない部屋を見て回る二人は、隣家のレンガ壁に目をとめる。
隣人のMさんの事を、気軽に老人と言ってしまったことに後悔。
パウラが私のCDプレイヤーを見て「機械まで長生き」と言う。CD自体が時代遅れだが、捨てられない理由がある。
二人はこれから映画を観に行くと言った。豪州の作家がブラジルに亡命したという内容だとか。彼らに共通の関心。
私には共有する関心を持つ者などいない。
41
二人が去って、その静かさに音楽が聴きたくなってCDプレイヤーのスイッチを入れる。しばらく待って出て来たブラジル音楽。
引っ越し準備で聞いたときそのまま。足踏みを始める。
別の音楽をかけようと取り出しスイッチを押すが反応なし。電源を入れ直して再度操作し、ようやく通電。「あんたもこの頃、歳とったねえ」
「まあ、そういわんといて」と関西弁が返って来る。
記憶の残響。
これは通訳の仕事でハンブルクに通っていた頃、関係のあった家族が大阪に帰国する際に譲ってくれたもの。
42
「生まれた機械は大切にせんとあかんで」
にBOSE社のCDプレイヤーが凄い、といじわるな言葉を返すと
「坊主が何や、くだらん」
応酬のあげく「おまえには心があるんか、心は」
機械に心はあるんか、と言われたんでは当分捨てられそうにない。
冷蔵庫は独り言程度、テレビは電源を入れてないからまだ沈黙。
自転車は家電ではないので、前輪パンクの苦情は言わない。
一度見かけた自転車屋までそれを引いて行った。店の商品は高額で足がすくむ。私のはフライブルクのリサイクル店で買ったもので、この店に持ち込むのも気が引ける古自転車。
43
軽蔑されるのが嫌だと思い、引き返そうと思ったとたん店員が出て来た。ブラジルのシマカザリハチドリの様な髪型。目が合った以上逃げられず。
前のタイヤのパンクを直してくれませんか、と依頼する。フライブルクでは自分で修理したがそれも面倒。だが店員は鳥の様な無表情で、最近はパンク直しはやらない。新しいタイヤを購入してくださいとの返し。
もったいない!との叫びをこらえ値段を聞くとオペラ座の一般席なみ。
穴ひとつでタイヤを取り換えることで生じる損失や、地球への負荷を思う。こんな事ならフライブルクでパンク直しセットを一生分買うんだった。
44
少し皮肉を言ったが、若い店員は動じることもなく中庭を指さす。運んでもくれない。店内はカラフルなヘルメットなどで華やか。自転車を止め、ハチドリから引換券を受け取った時、従業員らしき青年と話をしていた初老の男が顔をあげた。
Mさんだった。思わず声が出る。
タイヤのパンクの事を話すと、青年をハッサンと紹介するMさん。十八歳ぐらいだろうか。縮れた黒い髪と肌。Mさんは彼の腕に軽く触れて別れを告げた。そして家に帰るならお伴しますが、と言った。先日の頼み事も聞けるかと思い、さっさと歩くMさんに続いた。
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ハッサンの相談役を引き受けているというMさん。未成年でアフガニスタンから逃げて来た彼に対し、週一で相談にのっているという。ただ、しばらく旅で不在にしていたので今日、謝りがてら会いに来たとの事。
そして頼み事の話になる。市の図書館の裏に中国語の看板が出ている。
Mさんの友人が毎週そこに通っていて興味があったが、その友人がミュンヘンに帰ってしまったので、一緒に行ってもらいたい。
中国の鍼医者か何かだろうと勝手に思ったが「太極拳です」
46
予想外のことにぽかんとしてしまう。
お嫌いですか?と言われても考えたことさえない。
一緒に行ってくれますね、との言葉に
「少し考えさせてください」
忙しいでしょう、と言われ今訳そうとしているクライストの短篇の事を話すと「ロカルノの女乞食ですか?」と図星で当てた。
全集をお貸ししましょう、と着いた自宅にすぐ入ったMさん。
戻ったMさんが持っていたのは二冊のペーパーバック版。
本を貸すから太極拳の事は交換貿易だという。
奇妙な貿易になりそうだ。
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家に戻って二冊の本をめくった。生まれは1777年、34歳で自殺。そこに全ての小説、戯曲、手紙まで収録されている。
「ロカルノの女乞食」を探していて「聖ドミンゴ島の婚約」を見つけた。
大学の例のゼミでの教材。ハイチを植民化していたフランスに対し、一揆を起こした黒人奴隷を巡る話。ゼミの中で意見が対立して白熱した事、自分がさしたる意見を持っていなかった事を覚えている。
「ロカルノの女乞食」は3ページほどの小品。早速訳し始める。
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私のやり方は無罫の紙に初訳を書きながら読み進み、次第に細部の輪郭を重ねる。
イタリア北部ロカルトの近くの、ある侯爵の城への道程。ゴットハルト峠のトンネルを列車で抜けたのは、まだフライブルクに住んでいた頃の思い出。明るくて暗い。また、新潟に行く時に通るトンネルにも似ており、川端康成の「雪国」を思い出す。
ゴットハルト方面から来る時の表現に悩み、ため息をついて机を離れる。
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部屋を歩きながらロカルノの城を思い浮かべる。侯爵が住んでいるから廃墟ほどではない。
子供時代のMさんや、そのお姉さんが浮かぶ。
幻想を振り払い続きを読む。
女主人の計らいで、城の一室で寝かされる物乞いの老女。この老女の厭世気分を思ったが、はっとする。恥も外聞も捨てて物乞いになり生命の炎をつなぐ。当時なら五十歳前後か。
城主の侯爵が狩りの帰りに、いつもの部屋に入り老婆を見つけると、邪魔だから暖炉の後ろにでも行くよう命じる。立ち上がったが滑って転び、腰に大怪我をする老女。
だが言われた通りに暖炉の後ろに回り、深く息を吐くとそのまま死んでしまった。
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物語の入り口でいきなり女乞食が死んだことに動揺し、コートを着て散歩に出た。住宅の窓ガラスに夕日が反射している。
スケートボードを抱えた少年、車のトランクからミネラルウォーターを出す男性。
夫と暮らしていると言う事で大人の扱いをされた。それに後ろめたさを感じる。もし夫の早瀬がフライブルクに留学する話がなかったら、結婚さえしなかったろう。逆に文なしの冒険家で、南米を放浪しようと言われても断っただろう。
財産があり、大学講師の立場で奨学金を得ての留学に同行する・・・安全に冒険出来る都合のいい話だった。
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美人と言われたことはなく、猿飛佐助似と言われる程度。早瀬も私の容姿、性格を誉めた事はなかったが、何らかの恋愛要素があったか。だがフライブルクに来て以来顔が変化し、人目につく様になった。反対に早瀬は色褪せて無口になって行った。置き忘れの小道具。
ある日ガーデンパーティに誘われて行くと、奇抜な人たちが多数集まっていた。その中で、映画を撮っているという黒シャツの男ロルフが寄って来て、東洋の観光客役のエキストラに出ないかと誘った。迷っているうちによそへ行きそうだったので、あわてて承諾。
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映画といっても小規模で、ロルフ含めチームは四名。
俳優は自称プロの男と私だけ。
フライブルクの大聖堂を私が写メ撮り時、男が「絆創膏ないか?」と尋ねる。
服を開くと血だらけで、私が悲鳴を上げるというもの。
撮影の日が来て演じ始めたが緊張で転び、騒ぎになって救急車まで来た。それが面白いと監督はストーリーを変え、転んだ私を若い外科医が助けて病院に運び込むものになった。
ただし私の怪我など全く心配されていない。
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ストーリーは、転び易い私が検査の結果、筋肉萎縮の病と判明する内容。話の筋を勝手に決めるロルフにも、熊のような助手のベールトは寛容な兄の様に対応。
はては診療室や医者の手配まで行うベールト。
車椅子が必要だと言うロルフの要求から車椅子サークルを知り、出掛けるベールトと私。その名は「第六車輪」
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ドイツ語で余計者を「車の第五の車輪」と言う例えからのシャレだという。「第六車輪」に電話して、出たスージーという女性に車椅子を使いたい意図を話すと、彼女は詳しい内容を聞きたがった。自身が車椅子で出掛け、それを貸し出して立ち会い指導すると言う。彼女とは次第に親しくなった。
車椅子の扱い方は意外に難しく、監督のロルフはイラついて私を侮辱。つい皮肉で「ギャラ、期待してますよ」と言ったら、素人にギャラを払うつもりはないとの逆襲。
腹立ちより、何を言っても構わないとの解放感から箍が外れ、シナリオが平均をかなり下回ると言うと、どこが悪い、と訊き返す。怪我の女性と医師の恋などステレオタイプ。
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映画の結末は百歳の大富豪に売り飛ばされると聞き、さようならと言い残して帰宅。家に帰ってその話を早瀬にしても、うんうんと頷くだけで気にもされない。
驚いたことにロルフは翌朝電話をかけて来た。
喫茶店で会うと彼は新しい脚本を出した。
徹夜で書いたというノート。ヒロインは二週間入院する間に二人の入院女性と知り合う。夫々が苦しみを抱えていた。主人公は医師への恋心を封印し、退院後日本に帰るという内容。
いい子ぶっても私の怒りは鎮まらないが、ロルフは潤んだ目で肩から下は妙にまったり。
この脚本通りなら私はいいけど・・・といつのまにか譲歩。
56
応分の謝礼を払うからと頼まれ、契約書にサインした。
撮影後謝礼は振込まれた。映画はフライブルクのアマ系映画賞を取り、資金も出来たため次回作への出演を依頼された。
大富豪の夫の遺産を相続したが、ネットの結婚詐欺に遭うベルリン在住の女性ハルカ役。
相手フローリアンの写真は、事業家にしては派手で筋肉質。
彼から会いに来る筈が、何度か断りの連絡があるたび心拍が上がり恋と錯覚するハルカ。次の断りの連絡を受け、航空券を買った数時間後には空を飛んでいるハルカ。
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フライブルクには空港がなくスイス、フランスが共有するユーロエアポートがロケ地。ハルカの名の理由をロルフに聞くと、日本由来の米のブランドだという。我が家はヒノデ。
ハルカがユーロエアポートに着く場面の撮影日、早瀬が私をロケ地まで送ってくれた。夫を連れているのに驚くロルフは、陰で私に軽口を言った。早々に早瀬は帰る。
撮影が終わり、ロルフがビールに誘う。
空港からフライブルクに戻り酒場に寄った。
58
ビールが来た。乾杯したがグラスは触れ合わず。
あの男はオーラがゼロだ、君たちは釣り合わないと言うロルフ。間接的に誉められ気を良くしたが、その後も続く挑発口調に言い返すと、ロルフもムキになる。
心配してプレイを中断したビリヤードの男女。
私は何かを叫び家に帰ってしまった。
早瀬含め人にここまで怒りを見せた事はなかった。
それから数日たった頃、早瀬から関西の大学に職があるとの話を聞かされる。「帰国」の言葉にKが三つもある単語、と思ったが「過酷」「価格」も同じだと思考は脱線。
フライブルクの年月は早瀬にとって長すぎた間奏曲だが、私には前奏が終わったばかり。
59
関西に住む夢もあったが、まだドイツを離れたくない。日本に戻る前に少しベルリンで暮らさないかと提案。彼にはベルリンに一学期滞在するチャンスもあり、提案を受けた早瀬。
早瀬の気が変わらないうちにベルリンの住居をネットで探した。
奨学金も貰える事に。
こうして私たちは、フライブルクからベルリンのクロイツベルク区に転居。
ベルリンに来て一ケ月経つと、早瀬は早く日本に戻ろうと言い出し、向こうで住むところまで探し始めた。それまではメールばかりだったのが、週一度で実家に電話を始める。
60
私は焦って、ベルリンに残る言い訳に自主映画出演の事を言い、先に帰国してと頼んだ。早瀬は日本に去り、私がそのままベルリンに残った。あれからもう十年。
昔を思い出すのは決まって散歩の途中、家の灯りが目に入る時。様々な人たちの営み。
あの人たちと違ってこの自分として生まれた偶然。
この私の特色はどこにある?
いつのまにか帰路を選んで歩いていた。
太極拳気功学校への同行をMさんに頼まれた私。
断る理由はないが、アジアの武術というだけで、私には全くその経験がない。学校の授業でも教えるのは柔道ぐらい。
それさえも女子は部活動でもない限り接する機会はない。
今日の一曲
Matthew Wilder - Break My Stride(思い出のステップ)